2012.01.15

新聞業界雑考 2

前回の続きです。

2.新聞業界の今後についてあれこれ

さて、以上のことから新聞業界もいよいよ後がなくなってきたことが分かるわけですが、新聞社としてはどういう打ち手があるのでしょうか。20年後はともかくとして、これだけネットが普及してきたわけですから、10年程度のタイムスパンでいくつか方向性について考えることも可能でしょう。ということで、思いついたことをメモ程度に。「ジャーナリズムかくあるべし」論はとりあえず脇において、まずは純粋に企業経営として考えます。

考察の第一前提として、紙の発行部数は今後急減していくとします。少子高齢化だけではなく、年代が下がれば下がるほど購読率が下がっているわけですから、この大きな流れはもはや避けることはできないでしょう。

第二に、プリントからネットに送信媒体を変更した所で、従前ほどの収益をあげることは不可能とします。というのも、新聞を読まなくなった世代が「ネットなら有料でも読もうか」と考えるとはちょっと考えづらいからです。少なくとも大幅な値下げが必要でしょう。もっともこれは裏付けがあるわけではないので、僕の個人的な考えです。

そうすると考えられる可能性として・・・

A. 中央紙と地方紙の棲み分けが進む

18790125_4
大阪のローカル紙として始まった朝日新聞(朝日新聞Websiteより

このまま各新聞社が規模の縮小を続けていけばこうなるだろうな、という気がします。つまり、いわゆる中央紙といわれるところは売上減に対応して、コストを削っていくしかないわけですから、地方支局を維持することは難しくなっていくでしょう。そうなると、地方は地方紙しかなくなって、中央、というか東京・大阪ぐらいにいわゆる読売、朝日、日経あたりが残るというストーリーが考えられます。

よく言われるように日本の新聞社の発行部数がある意味異常であり、海外ではもっとエリアや内容に従って細分化されています。なので、こういう形に移行するのは充分に考えられるストーリーかな、と。

B. 大手新聞社が合併する

Newscorp_2
News Corporation:ルパート・マードック率いる世界最大のメディア・コングロマリット

マスメディア集中排除原則とかありますが、そもそも経営が成り立たなくなれば四の五言ってられませんから、早めの打ち手として大手新聞社が合併して規模の利益を追求するということは論理的には考えられます。

新聞発行部数が急減しているわけですから、輪転機の稼働率は下がっているでしょう。システム投資も重荷になっているはずです。であれば、合併してそうした二重投資を無くし、総務・人事・経理等の間接部門を統合する。地方支局も統廃合する。うまくいけばある程度は生き延びることができるでしょう。

とはいえ、この手の合併がうまくいくのはレアケースであり、各紙によって相当企業文化も違うでしょう。縮小均衡を座して待つぐらいだったら、危うい所が先手をうって合併する方がいいと僕は思うのですが、現実的にはちょっと難しいかもしれません。


まぁ、大体この2つの流れのうちのどちらかになるのではないでしょうか。他にも何かあるかもしれませんが、今はちょっと思いつきません。どちらになるのかは、事業環境の推移に加えて、何よりも新聞社の経営者の「意思」が大きなファクターです。

とりあえず、どの新聞も似たような紙面を作っている限り、市場が縮小すれば必然的に淘汰されていくでしょう。その時は差別化しない限り体力勝負になるわけですから、一般論としては小さいところから消えて行くものと考えられます。

そう考えると地方紙は各県で独占的な地位を築いているので、意外としぶといような気もします。むしろクオリティが下がると他紙に乗り換えられてしまう中央紙の方が先にきついのかなぁ、と。

蛇足ですが、ジャーナリズムのあり方として望ましいのはどちらか?AはAでいいような気もしますが、権力の監視という意味ではBのように大きな中央紙が生き残ってくれたほうが有効かもしれません・・・が、生き残った大新聞が腐敗したらそのときの被害はちょっと想像できません。やっぱりメジャーどころは複数生き残って欲しい。

ちょっと考えただけなので、結論らしきものは特にありません。引き続きテレビも含めて考えていきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新聞業界雑考 1

日本のジャーナリズムって今後どうなるんだろう、あるいはどうすべきなのだろう、ということについてたまーに考えるので、とりあえず未だにマスメディアの中心的存在のひとつである新聞業界についてデータを漁ってみました。

基本的に新聞社は非上場のオーナー企業なので情報公開範囲に限りはあるものの、有価証券報告書が公開されているので、朝日、毎日、日経はデータがみられます。めんどくさいので朝日だけデータを整理すると以下のとおりです。ただ、他紙をチラ見をした限りでは新聞社は概して厳しいです。

1.財務諸表の話

【朝日新聞主要財務指標(2003-2011)】単位:百万円

Asahi_graph1
出所:EDINET
※クリックすると拡大します

ということで、これをみると新聞不況だなんだと言われながら、2008年までは財務的にはなんとか持ちこたえていたことが分かります。リーマン・ショック以降は惨憺たる有様ですが。といってももちろんそれ以前もそれなりな影響はあったようで・・・

【朝日新聞 連結従業員数(2003-2011)】

Asahi_graph4
出所:EDINET
※クリックすると拡大します

これをみると、2005年以降グループ全体で従業員数が減っており、リストラに着手したことが分かります。当然非正規雇用の削減が先行してますね。ピーク時に3800人いた臨時従業員数が現在1580人程度。新聞紙面では「派遣切り」だとか「雇い止め」を糾弾しているわけですが、なんのことはない、「派遣村」が話題になる前から当の本人達が率先してやっているわけです。社民党みたいなものですね。

なお、それをダブルスタンダードだとして責めるのは多分違うだろうと思います。道義的であろうがなかろうが、非正規雇用を削減するのは「現行雇用法制」と「低成長時代」を前提にしたときに「企業が持続可能性を維持する為の合理的行動」であり、競争環境が存在する限りは避けることはできない、というだけのことでしょう。

さて、それはともかく2009年に大赤字を計上したわけですが、2011年に一定程度回復して黒字転換しています。トップライン(売上)があがったわけではないので、それは当然コストを削るしかないわけですが、実際に単体の従業員数はここ5年間で1割減となり、給与を2010年に大幅に引き下げたことがわかります。多分2009年の赤字をきっかけにして給与体系の労使間合意に至ったのでしょう。

【朝日新聞 単体従業員数・平均年収(2007-2011)】単位:千円

Asahi_graph2
出所:EDINET
※クリックすると拡大します

財務諸表上の人件費総額をみると必ずしもこのとおりに下がってないので(新聞は給与の他に労務費として原価計上している)、まぁ費用計上としては色々あるんだろうとは思いますが、給与水準を低下させているのは間違いないでしょう。

昨年早期退職費用を55億円程度計上していますが、150人辞めさせたとすれば一人あたりの割増退職金は3600万円ですね。普通年収の倍程度が割増退職金としての良好な条件と言われているので、年収水準を考えると破格といってもいいかもしれません。通常の退職金ももらったとすれば、1億円近いでしょう。まだキャッシュは600億円以上ありますから、クビきりだなんだので万一法廷係争になって他紙に揶揄されるよりまし、ということでしょうか。

【朝日新聞 単体平均年齢(2007-2011)】

Asahi_graph3
出所:EDINET
※クリックすると拡大します

普通早期退職は中高年から切っていくのですが、それでも朝日新聞社内で高齢化が進んでいることが分かります。まだ抜本的なリストラに着手してないので、当然といえば当然かも知れません。しかし、いずれどこかの時点でこのグラフ傾向を反転させて組織の若返りを図らなければ、企業として存続することが難しくなるでしょう。

思ったより長くなったので、ページを分けます。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012.01.01

あけましておめでとうございます

今年も宜しくお願いいたします。

さて、なかなか更新できない当ブログですが、時間的都合よりもやはりインプットの問題かなという気もします。「ネタ」がないのに書くほどのモチベーションも沸かない、というか。でも年頭なので去年やったことの所感を書き散らしつつ、今年やりたいことに触れてみたいと思います。

昨年は夏にMBAをとりまして帰国しました。で、留学前の会社に戻って今は経営企画のお仕事をしています。とりあえず本当にやりたいことのつなぎの日銭稼ぎとして、のつもりだったんですが今の仕事がかなり面白い。直接の上司ではないものの、実質的に取り仕切っている方(50代)が Insightful というか、周囲と考えていることのレベルが違うと言うか・・・大組織の”経営”という業務経験を積ませてもらいました。

1.トップダウンの思考

手垢のついた言葉ではありますがこれが昨年仕事を通じて学んだ第一のことかと。踊る大捜査線に象徴されるように、日本は「現場信仰」の強い国なのかなぁ、という印象があります。片や西欧はリーダーシップ重視。

日本の会社経営でよくあるパターンは、経営トップが「現場の為に」と言い、現場社員が「それだと現場がまわりません」と言うと大抵の主張は通る。実際経営者が現場社員におんぶに抱っこなのは一面の真実ですし、波風立てずにやるのなら仕事サボって下にやらせとけばいいわけです。

ですがやっぱりそれって、「現場の視点」でしかない。乱暴にまとめると、ボトムアップ意見の集合体は現状維持に限りなく近いのです。個々の意見にはラディカルなものもありますが。もちろん、経営層の持っている情報と現場の情報に非対称性もあるので、思考方法の差だけでもありません。

経営が順調なときはボトムアップ運営でよいでしょう。でも、事業構造の大きな変革はそれではできない。件のリーダーの方に言わせると「俺達は経営会議のスタッフなんだから、ボードメンバーだけを見ていればいい」ということになります。これだけ聞くと、”現場を無視する頭でっかちで傲慢な人達”だと思われそうですが、背後にはこういう問題意識があります。

2.NPO活動と組織

仕事はそんな感じでしたが、プライベートではちょこまかNPOのお手伝いや被災地でボランティアやったりしてました。で、奇しくも仕事と似通った感想を抱いたのが組織運営の大切さ。結局NPOだろうが、会社だろうが、複数の人間を束ねて何かをやらなければならない、という点では何も違いはないのです。

例えば被災地のボランティア。「被災者の為に何かをやろう」と思っても、我々に何ができるでしょうか。僕は仙台に行って、ボランティアセンターで具体的なミッションを与えられる。仕事内容、派遣先、道具まで支給。作業所への移動手段も提供されます(流されてきた自転車だったり、バスだったり)。そこまでいって、初めて”何かやろう”が”これをやろう”に変換できる。

教育関係のNPOを手伝ったんですが、状況は同じ。その組織には若いけど非常にカリスマ性のあるリーダーがいます。この人の言っているとおりやれば何かできるんじゃないか、Make it better place になるんじゃないか、という気がしてくる。僕が協力したのもその点が大きいのですが、どうしても組織運営としては未熟な所が多い。そうなると、せっかく大勢の人や多少なりとも資金が集まっているのに、無駄が多くなるんですよね。

個々のスタッフの状況に応じた適格なミッションも与えられないので、せっかく集まったスタッフが離れてしまうということもよく起こる。僕もフルタイムでコミットできませんし、責任も取れない立場なので、あまり口出しはしてないのですが。やはりビジョンだけでも、カリスマ性だけでも、オペレーション業務をやるスタッフだけでもダメなんですよね。それを組織行動に仕立て上げる方法論とやったことのある人達がいないと。

3.今年の活動計画

仕事の方は結構ペースが掴めてきましたし、長期/短期ともに具体的な目標がみえているので、これを Work Life Balanace を保ちつつ実現する。

プライベートの時間を少しとって、何か自分でイニシアチブをとれる社会貢献活動をやりたいなぁ、という気がしてます。こちらはまだ具体的なアイディアになっていませんが。ひとつ考えるヒントになったのは、去年やった障害者雇用の企画。

日本企業は一定の条件のもとに全従業員の1.8%まで障害者を雇用しなければならないことになっているんですよね。人数が足りないと一人あたり5万円の罰金を払わなければならない。たまたまそういうのに関わっている友人ができたので、うまく自分の会社の企画に仕上げることができました。

こんときは自分の部署が部署だけに情報を集めるのも楽でしたし、担当者を探すのスムーズ。まだ企画段階ですが、これで障害者の雇用が実現すれば、自分の会社にとっても、社会的にも異議のあることになるはずです。

なんかこういう具合に、他人の活動のパーツをお手伝いするよりも、自分が今持っている資源の有効活用方法を自分で考えたほうが、社会的に還元できる付加価値は高いのかな、という気がしています。


てな感じでしょうか。何はともあれ、今年1年引き続き宜しくお願いします。

P.S. 自分が今の部署に所属できたのは、MBAのシグナリング効果のおかげといっても過言ではないでしょう。「そういうことをやりたくて、自分で勉強したというのなら、いっちょやらせてみよう」という具合になりましたので。あと、勉強したこともまさに今の仕事に活きてます。周りをみてると、こういうケースはレアケースみたいですけどね。

MBA受験生はセカンドラウンドの出願のギリギリのタイミングでしょうか?昨今は日本人採用が絞られているみたいで厳しいでしょうが、まぁとりあえずここは歯を食いしばって頑張るしかないですよね。LBSに関するご質問があればいつでもご連絡ください。

あ、ブログ引越ししなきゃな・・・

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2011.11.12

幸福を測定しよう 2

というわけで、幸福かどうかを代替指標で測定するのは難しいというか、原理的な問題があるわけです。

例えば所得なり、自殺率なりで幸福度を測ろうとすると「そんなこと誰が決めたんですか?」というパターナリスティックな視点を批判する意見を避けられないわけです。そうなると「直接アンケート調査すればいいじゃん」ということになり、そのような視点から色々分析をしているのがこちらの論文です。

「幸福度で測った地域間格差」 山根、山根、筒井 (2008)PDF

で、これがそのアンケート結果のグラフ。

Graph3
クリックすると拡大します

いやー、素晴らしい。これで問題は解決ではないか。あ、何?兵庫が1位なのね。大阪そんなに悪く無いじゃん、メデタシメデタシ・・・。としてもいいわけですが、果たしてこの差が何によるものかが問題なわけです。

やっぱり一番最初に思いつくのは「所得が高い都道府県は幸せじゃないのか?」という仮説が思い浮かぶわけですよね。で、平均所得と幸福度の散布図がこちら。

Graph2_2
クリックすると拡大します
※この調査ではアンケートで回収した所得を使用しているので、公的機関の平均所得の調査とは誤差があります

まぁ、これをみるとやっぱり所得が高い都道府県ほど幸せそうだなぁ、ということが分かります。

で、この論文ではそれ以外の要因による差異についても分析しています。例えば、女性のほうが男性よりも幸福であるので、男性が多い県は不幸になります。他にも結婚や年齢差によっても幸福度に違いがでるでしょう。つまり、ある県よりある県が幸福である、と言えるためには同じ属性の人達を比べる必要があるのではないか、と続きます。

結構面白かったのが、アンケート調査を分析したところ

1)所得や資産が多い人は幸福。でもその効果は逓減する。

2)男は不幸 (苦笑)

4)世帯人数が多いと不幸 (へー)

5)健康な人は幸福

6)若者ほど幸福 (ほー)

13)自信過剰だと不幸になるが有意ではない (ははは・・・)

でまぁ、統計の細かい話はおいといて(本当は理解出来ないからですが)結論としては

「県ごとの幸福度の違いのかなりの部分は属性の違いによる見せかけであり、それを調整して同じ属性の人の幸福度を比較すると、県ごとの幸福度の相違はほぼ消滅することを示唆している。」

ということで、どの県が幸せとかそんなんあまり存在しないということでしょうね。敢えて単純化すると、1000万円の所得がある東京都の男性独身の人と、1000万円の所得がある福井県の男性独身の人は幸福度が同じであるということです。

お後がよろしいようで。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

幸福を測定しよう 1

ちょっと大げさなタイトルですが、先ごろ仮で取り上げたニュースについて考察を完結させてみたいと思います。


日本一幸せなのは福井県、最下位は… 法政大教授が調査

「日本一幸せ」なのは福井県民という結果が出た。法政大大学院の坂本光司教授は9日、「47都道府県の幸福度に関する研究結果」を発表した。上位3県は福井、富山、石川の北陸3県。最下位は大阪だった。坂本教授と同研究室で、経済力や生産力による指標ではなく「幸福度」を数値化しようと調査。

合計特殊出生率や総実労働時間、平均寿命など40の指標で点数化し、総合点から都道府県を順位づけた。上位県は人口が250万人以下で、第2次産業の比率が高いという共通点があったという。

(朝日新聞:11月9日)


法政大学のプレスリリースはこちら(PDF)。

僕のTwitterのアカウントではこのニュースが配信されるやいなや、結構懐疑的というか、シニカルなコメントであふれたわけですが・・・。まぁ、端的に申し上げれば、下記2つが簡にして要を得ているといえましょう。

…ほっといてくれよ。 と~きょ~もんの度量衡では、大阪人の幸せ度なんかはかられへんのや。 前提がまちごとる (元ツィート

そんなん、「寿命が長いと幸せ」「持ち家率が高いと幸せ」みたいな外形的基準をパターナリスティックに点数化して集計したものか、「幸せですか?」って訊いて回ったか、「幸せの脳内物質」を決めてかかって測る、のどれかしかありえない。学問的知見がそれを超えるものでない以上。>幸福度調査 (元ツィート

平たく言えば件の調査は「失業率が低いと幸せでしょ」「工賃が高いと幸せでしょ」「犯罪認知率が低いと幸せでしょ」とこんな具合に点数をつけいていっただけではあります。まさに大きなお世話でありますが、ここら辺の指標ならまだ分からなくもない。しかし、

「持ち家比率が高いと幸せでしょ」「貯蓄現在高が高いと幸せでしょ」といわれても、はてさて誰が決めたんですか?というツッコミが入ることでしょう。さらに、それぞれの順位付けは同じ”重み”なんでしょうか?つまり、自殺率が一番低くて下水道普及率最下位の県と、この2つの指標の順序が逆の県は同じように「幸せ」なんですか?という疑問も湧くわけです(例の調査は単純算術平均をとっているっぽいのでこの2つの県の”幸福度”は同じになります)。

ということで、結論を申し上げると要するにこんなのはいい加減な指標なのです(Twitterのある人に言わせれば「遊び」)。

以上終了なのですが、ちょっと面白いので簡単にエクセルでプロットして遊んでみました。ランキング上位の県はなんだか人口が少ない県が多くないか?ということ。でそれを散布図にしてみます。

Graph1

ということで、「人口が少ない都道府県全て幸福度が高くなわけではない」ということが分かりますが、「人口が多い都道府県には幸せなところはない」ということが分かります。ついでに相関係数を調べてみると、0.468でありやはり値は高めで、人口とが少ないと”幸福度”が高くなる傾向があることが分かります。

で、「幸福ならなんで人口が減るんだよ」というツッコミも多かったので、人口増加率でも同じ事をやってみました。

Graph2

こちらの相関係数は0.204なので、若干弱いですが幸福度が高いほど人口が流出するわけではなく、むしろある程度人口減少が低下する傾向が認められます(出生率が組み込まれているので当たり前ですが)。とはいえ、高”幸福度”の都道府県からは例外なく人口が減っており、そんなんで幸せと言えるのか?という常識的なツッコミを支持しているといえましょう。

もうちょっとまともな調査ないのかな・・・と思っていたら大阪大学の大竹教授が面白い論文を紹介していたので取り上げてみます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.11.07

為替介入の有効性 3

えー、前回まで果たして為替介入の効果があるのかないのかを見てきましたが、今回は為替介入が引き起こす副作用についてみてみたいと思います。

4.外貨準備高の急増

さて、為替介入とは具体的には国内で借金をして、米国債を買うことを意味します(米ドル買い介入の場合)。必然的に介入を行うと政府の外貨準備高は積み上がっていきます。

Graph5
出所: 「日本の長期統計系列」総務省統計局、 「外貨準備等の状況」財務省

日本の外貨準備高は1兆2000億ドルに達し、邦貨にして100兆円近くあることが分かります。まぁ、政府の外貨預金がこれぐらいある、という理解でいいでしょう。で、当然のことながら1990年代後半から2000年代前半にかけて、外貨準備高が急増している事がわかります。

ちなみに為替介入を行わなかった2004~2009年にも外貨準備高が増えてますが、これは利回り(長期の米国債は4%程度の利率があるので、5年で20%以上増える)と、FRBによる金利低下における時価評価額の増大によるものです(債券価格は利回りが低下すると価格があがる)。

この巨額の外貨準備が意味することは何か。皆さんが巨額の外貨預金を保有していると考えれば理解しやすいでしょう。つまり、多大なる為替リスクを背負っているのです。円高に触れると、政府の資産はガンガン目減りしていきます。ドルが暴落したりしたら目もあてられません。その損失は当然最終的には税金で穴埋めが為されることになります。

5.対外関係の悪化

さて、この為替介入の主目的はどう言い繕っても「輸出品の価格を下げて外国で日本製品を売る」ことにあり、いわゆる近隣窮乏化政策です。従いまして、これを派手にやると当然諸外国からの反発を受けることになります。近年最も為替レートをめぐる対立が先鋭化しているのは、言うまでもなく中国とアメリカであります。

では、日本の介入はどうなのか?しかし、我々がこれまで見てきたようにこの程度での介入では巨大な為替市場に明確なインパクトを与えることは難しいのが現状です。皮肉なことに、効果が大してないからこそ大きな問題になっていない、と言えるのです。

それでも、一応注目してくる人達はいるようでして、アメリカ議会の委員会に提出されたレポート(PDF) (2007) があります。それが面白いのでご紹介させてください。


日本の為替介入は為替市場を操作し、不公正な輸出上のアドバンテージを得ようしている、という非難を巻き起こしてきた。…過去には日本は積極的に為替介入を行なってきたが、2004年3月からその形跡はみられない。…過去の為替介入は極めて短期間の効果しかなく、円高のスピードをほんの少しだけ和らげただけであろう、というのが大勢の意見だ。

これまでの円の適正価格に関する各種推計によれば、円が割安評価されている幅は3,4円~20円となっている。ただし、その円の過小評価がどれほど為替介入の累積効果によるものか、市場のマーケット参加者によるものかは分からない。…2006年に米国財務省は日本は為替操作国とは言えないと結論し、IMFも同様に日本の為替操作を認めなかった。ただし、何をもって為替操作国とするかの基準にはかなりの裁量の余地がある。…

議会が取る主要な政策手段は

  1. 何もしない
  2. 為替操作の定義を明確にする
  3. 交渉と報告を求める
  4. 大統領に為替操作をしている国を特定し、是正をするように要請する
  5. WTOもしくはIMFに提訴する
  6. IMFにおいて日本を利するあらゆる政策変更に反対する

このレポートは中身も結構冷静で「そもそも円が10~20%も過小評価されているという主張はアメリカの自動車業界によって誇張されてきたものである」「為替の”適正価格”を算出する普遍的方法論は確立されていない、という根本的な問題がある」「為替レートが変わったからといって、それが日本の輸出拡大に直ちに結びつくわけではない」ということが指摘されています。

ただ、同時に「日本の報告、統計データが完全に正しいかということについては疑義がある」という具合に、根底にあるのは日本に対する不信感なんだろうな、ということが分かります。そうでなければこんなレポートでてこないでしょうし。まぁ、昨今のTPPにまつわるアメリカ悪玉論をみてると、お互い様なんでしょうけどね。

何はともあれ、日本政府の為替介入はこういった攻撃の端緒となるということでしょう。

6.結論

ということで、為替介入の有効性については「効果がないとは言えないけど、極めて短期的なもの」というあたりが大まかな結論としてよいのではないでしょうか。

個人的には労多くして益少なしという印象を持っています。既述の副作用を考えると、ただ単に産業界へのエクスキューズとしてやることは国益にもとると思うのですが・・・。なかなかそういう理解は得られないですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.11.06

為替介入の有効性 2

前回の続きであります。

2.為替介入の目的

既存文献のご紹介の前に、「為替介入の目的」ということに一言触れたいと思います。そもそも為替介入の目的は「為替レートを目標値に固定すること」ではなく「為替レートの過度な変動を抑える」ことにあります。図で表すとこういうことです。

Graph7_2

Graph8

上の図は今まさに中国や現在のスイス中銀がやっていることですが、「自由な通貨移動」つまり変動相場制を維持する限り、こうなることはありえません。下の図のようにあんまり派手にレートが動くようだったら、ちょっとそれをスムーズにしよう、というのが日本の為替介入なのです。建前上の目的は。

しかし、後者の目的を達するためには「為替レートの適正水準はここにある」という”見極め”が必要になります。逆にそれがないと、介入自体が市場の撹乱要因になってしまって、目的を達するどころか、市場の変動幅をさらに大きくするという、本末転倒な事態が起こってしまいます。

3.既存文献

さて、それでは論文等のご紹介に行きます。といっても経済学徒でもない私が適当にネットで拾ってきただけなので、どれぐらい権威があるのか分かりません。その点はご了承下さい。

とりあえずHillebrand and Schnabl (2003) には、以下のようにまとめられています。


Juergensenレポート(1983)より、不胎化介入が一定の為替レートへの誘導を実現できるのか、為替介入の有効性については広範な議論が行われてきた…

過去においてはDominguez and Frankel (1993)、最近においては Mamaswamy and Samiei (2000) の論文が、日本の為替介入は”部分的に成功であった”と結論づけている。どのようなメカニズムかについて明らかにしていないものの、Ito (2002) の研究よれば”Mr.円”と呼ばれた榊原財務官のもとで、為替介入は一定の目的を達したとみられている。Beine and Szafarz (2003) は、様々なGARCHモデル推定によって特にアメリカと共同歩調をとったときに有効であったと結論づけている…

一方で、Sarno and Taylor (2001) は、少なくとも主要先進国間では資本市場は統合が進み金融資産の代替性も高まっているため、不胎化介入の効果はないと主張した。Dominzuez(1998) は不胎化介入は国内のマネーサプライが変わらないのだから、定義上成功するはずがないと断じた…

ボラティリティ(変動)に与える影響についても議論が行われてきた。Dominguez (1998) は効率的な外為市場でも信頼性が高く簡明な不胎化介入はボラティリティを低減すると主張した。DeGrauwe and Grimaldi (2003) によればシステマティックな不胎化介入は投機家の”チャート主義”によるノイズを減らすとしている…

一方で、Schwartz (1996) は政府による介入は不確実性を高めてボラティリティを高めると主張してきた。Bonser-Neal and Tanner (1996) はオプションプライスを使うことによって、介入がボラティリティを高めたと結論づけている。…Watanabe and Haraguchi (2001) によれば、GARCHモデルによる推計によって、1990-2000の為替介入は短期的には大きな効果があったが、長期的にはなんら影響を与えなかったとしている。

結論として、最近の実証的な研究は為替介入の効果について支持するものが多いように見受けられるものの、確たる結論は出ていない。…最近の日本の金融当局の頻繁な介入はある程度の効果があることを示唆している。完全な失敗であればこれほど頻繁に行われることはないだろうと思われるからである。しかし、同時に介入効果が長続きしないことの証左ともいえよう。


そりゃそうだよな、といったところでしょうか。当たり前と言えば当たり前ですが、やはりグラフをみての直感的な結論とそれほど差異がないことが確認できます。

またまた長くなってしまったので、今度はこのような人為的な介入が引き起こす副作用について触れていきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

為替介入の有効性 1

どうもご無沙汰しております。為替介入のネタは書こう書こうと思っていたのですが、仕事が忙しくて後回しになってました。宿題を片付けた気分であります。

僕の問題意識というかギモンとしましては、「為替介入って効果あるの?」ということ。やれ為替市場は巨大だから日本政府の単独介入は意味がないとか、だとしたらなぜ経団連とか、同友会とか為替介入すると好意的な見解をだすのだろうか。

もちろん長期的には為替レートは国同士の相対的な経済のファンディメンタルズによって決まることには争いがないと思いますが、一度虚心坦懐に事実を洗ってみようということでございます。

ちなみに僕は外為ディーリングの経験もない普通のサラリーマンですので、間違いがありましたら優しくご指摘いただきたい、といういつものお願いを先にさせて頂きます。

1.定量データの紹介

早速、円ドルの為替レートと為替介入金額(1991/1/1~2011/10/31、日次5327サンプル)のグラフはこちら。

Graph1
※ クリックすると拡大します
出所:「外国為替平衡操作の実施状況」財務省、PACIFIC Exchange Rate Service The University of British Columbia, Sauder School of Business

先日(10/31)の8兆円ともいわれる為替介入はまだ金額が公開されてないので入っていません。さて、これをみていただけると一目瞭然ですが、1990年代後半から2000年代前半まで、今とは比較にならないぐらい頻繁に為替介入していたんですね。

2005年~2009年の間に一切介入してないのは、効果がないと悟ったからか(最近の状況をみるとそれはなさそうですが)、はたまた景気がそんなに悪くなかったからなのか。

それはともかくとして、このグラフだけみても為替介入に効果があるのかないのか、ピンとこないのが普通の感覚だと思いますので、昨年の9月15日、野田財務大臣時代の介入をピックアップしてみましょう。過去20年間をみても、一日で2兆円を超える介入は最大金額でした(余談ですがこんな記事書いてました)。

Graph2
※クリックすると拡大します

これは分かりやすいですね。2兆円分のドルを買っても、ダウントレンドを押し戻すには程遠いように見えます。9月15日は83円から86円まで一気に円安になりましたが、20日もすると元の水準にもどってます。

いやいや、この1サンプルだけで判断するのはまずいだろうということで、2003年度(2003/4/1~2004/4/30)のデータをみてみましょう。この年度の介入総額はなんと31兆円です

Graph3
※クリックすると拡大します

これをみる限り、あんまり関係なさそうですね・・・。一番激しそうなところだと、例えば2004年1月2日から1月16日までで6兆円を超える介入を実施したんですが、為替レートはこの一ヶ月で106.94円(1月2日)から105.58円(2月1日)まで下がってますし。

結局、史上最大の為替介入を実施した2003年度は118.24円から104.2円まで円高になって終了しました。逆に言うと、数十兆円の介入ですら巨大な外国為替のマーケットをコントロールするには全く足りない量であることがわかります。(”コントロール”の定義によるんですけどね)

さてさて、こうしてグラフで視覚的にざっくりみることも大事なことですが、とはいってもこれでは感覚的なジャッジメントであることは事実です。幸いにして経済学者の方々が「介入に効果ありやなしや」というのを精密に研究しておられますので、それを紹介させていただきます。

長くなりましたので、2回に分けます。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011.09.09

LBSの学校説明会

先日東京でLBSの学校説明会が実施されました。

アドミッション主催の学校説明会は今までもやってたのですが、日本人生徒主催の日本語による説明会はたぶん初めて。僕も受験生時代はこの手の説明会の方が情報収集という点ではありがたかったと記憶しています。企画・実施してくれたMBA2012の皆さんありがとう。

最近主に受験生と話してですが、LBSの人気があがっているような気がします。僕が受験勉強をやってたのは4年ほど前になりますが、その頃はもちろんある程度の認知度はあったものの、受験生の選択肢に必ず入ってるという程ではなかったと思います。ポンドも高かったですしね。

為替レートが良くなったせいか、アメリカの学校が狭き門になっているせいか、はたまたうちの学校の努力によるものか、今はトップスクールを受験しようという方々の選択肢には大体入れていただいているように感じます。お陰さまで説明会も100人超と初回にしてはまずまず。

そんで、会場ではアルムナイが好き勝手なことをしゃべってきたわけですが、やはり質問として多いのが「LBSを選んだ理由を教えて欲しい」。わかる、わかります。

Why this school ってどう書いたらいいか迷うんですよね。学校のオフィシャルサイトにあるような宣伝文句って大体おんなじですし。グローバル、リーダーシップ、ダイバーシティ etc. 宣伝文句が似てるのはプログラム自体が実質的にあまり変わらないからでしょう。

とはいえ、就職活動と同じで志望理由はなくても無理やりひねり出さなければなりません。僕自身もエッセイ提出時にはそれほど熱心に志望してなかったこともあり、いいお手本とはいえないのですが、そう聞かれたときに申し上げているのは「ロケーション(ロンドン)」か「ヨーロッパのカルチャーが好きだから」というあたりがわかりやすいのでは、ということです。

実際にうちの学校のどこでも受かるような優秀な奴に、なぜLBSを選んだか聞くと「アメリカは留学したことがあるし、もういいや」とか「家族に近いほうがいいから(ヨーロッパ出身者なら飛行機ですぐ帰れる)」とか「ロンドンで働いてたし」とか「幼少時に住んでた」などなど。まぁ、わかりやすいですね。たぶんエッセイにもそう書いたんでしょう。

アドミッションにしてみたら一番嫌なのはオファーを出して他所に逃げられることです。同期のRさんもいってましたが、LBSに対するコミットメントを示すのはとても重要(まぁ、これはLBSに限りませんが)。ということで、なるべく事実の裏付けのある説得力のある論理展開をオススメします。

何はともあれ、MBA2012の皆さん及びアルムナイとしては今後とも是非日本人受験生にPRして、アプライ数を伸ばすと共に優秀な方に入っていただきたいと考えています。ご質問をお持ちの方はこちらからまで。

LBS日本人用非公式サイト
http://lbs-mba.jimdo.com/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.08.27

「フクシマ」論を読んで

今回は書籍の紹介です。

51f3ohibxl__sl500_aa300__2 「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

僕のtwitterのタイムラインでは好評価を獲得していた本。街の本屋さんにも平積みされていたので、もうお読みになった方もいらっしゃるでしょう。

著者の関沼氏は福島県出身で東大の社会学の博士課程に在籍中。本書は修士論文がベースになっているそうです。正直に言えば構成がいまいちでところどころ読みにくいですし、冗長な部分もあるのですが、それを補って余りある興味深い視点を提供してくれています。

本書のテーマは「原子力行政と日本の戦後成長との関係性についての考察」(p25)とあります。詳細は読んでいただくとして、この一節が本書の問題意識をよく表しているでしょう。

「原子力との始めての出会いが私に与えた印象は今でも全く変わっていない。私たちは原子力を抱えるムラを『国土開発政策のもとで無理やり土地を取り上げられ危険なものを押し付けられて可哀相』と、あるいは『国の成長のため、地域の発展のためにし方ないんだ』と象徴化するだろう。しかし、実際にその地に行って感じたのは、そのような二項対立的な言説が捉えきれない、ある種の宗教的とも言っていいような『幸福』なあり様だった。村役場の前からPR施設までの移動に使ったタクシー運転手は言った。

『つぶれそうなタクシー会社一つだけだったのが四つになってね。原燃さんが来てくれるまでは、一年の半分以上出稼ぎにでなければならなかった。危ないところでススだらけになりながら、家族と一緒に過ごせる日だけを楽しみにして汗水たらして働いて。今は一年中家族と一緒にいられる。子や孫が残って暮らせる。そういうもんですよ』 (p382)」

中央の政治家や電力会社、かつて「福島のチベット」とすら呼ばれた貧しいムラ、私欲あるいは愛郷に動かされる地方の政治家、それぞれのアクターが「欲望」のもとに能動的に行動して現在の均衡が実現したというのが本書の分析です。

では現在ややもすると過剰に騒がれている原発の安全性については住民はどう考えているのでしょうか?住民へのインタビューが納得性の高い実態を描き出します。

「80年代から、福島県の原子力ムラにおいて、学校教育のなかで『原発』を推進や反対、自治との関係のなかで取り扱うことはタブー視されていた…福島県の原子力ムラでは住民の3~4人に1人が原発関連の職種についている。それだけでなく、原発に出入りする弁当屋、保険代理店、近隣の飲食店なども含めれば、より多くの住民が原発とともに生活をしている状況にあると言える。その結果、原子力ムラの住民の多くが原発を容易には否定できない状況にあることは確かだ。(p104)

『東京の人は普段は何にも関心がないのに、なんかあるとすぐ危ない危ないって大騒ぎするんだから。一番落ち着いているのは地元の私たちですから。ほっといてくださいって思ってます。』(p106)

『反対派なんてもうほとんどいないんでないの。あそこの小屋で反対だっていう看板かけてる人?あー、まあ変わり者だな。別に問題になったりとかはないよ。』(p107)」

本書ではもちろん原子力ムラの”強力な”経済効果についても触れられています。

「2000年代の財政力指数上位30をみると、常に3分の1が発電所の立地地域であり、他は空港、自動車産業、観光産業の立地であることが分かる。ここから言えば、原子力ほど魅力的な地域の経済振興策の選択肢は日本において他にないということだ。… これまでも先行する研究のなかで指摘されて来た『交付金』や地元雇用とその波及効果によって成り立つ原子力ムラの経済構造であるが、その経済的秩序を再検討すると、それがもはや変えようとするにも、変える方法を容易には想像できないものになってしまっていることが明らかになってくる。原子力ムラが自ら原子力ムラであり続ける志向を捨てることは極めて困難な状況にある。(p139ー140)」

つまり、

「高度経済成長を通じて原子力ムラとして変貌したムラは、もはやかつてのムラに戻るわけにもいかず、かといって他の地域振興策もないなかで、原子力への信心を持ち続ける他ない。(P290)」

「原子力ムラの住民は原子力を持つということで苦しんでいるのは事実だ。しかし、それは貧困あるいは都市と比較しての『欠如』というより大きくな苦しみから逃れるためのものに他ならない(p323) 」

ということになります。

長くなりましたが、最後に「排除・固定化と隠蔽のメカニズム」(p350)についてふれます。これは、ある社会的問題があったとしても自分と他者と区別することによってその問題を自らの意識から隠蔽してしまう行動をとりあげています。

例えば脱原発を唱える人たちは主に東電、あるいは政治家に向かってそう主張するでしょう。しかし、一方で福島の原子力ムラの住人に、「あなたたちの仕事はもうなくなります。元の貧しいムラに戻って、冬は出稼ぎしてください」といえるでしょうか?東電や政治家という媒介を通すことによって、(恐らく)脱原発の提唱者の意識からは原子力ムラの人々が排除され、隠蔽されているのです。

私もある特定の社会問題に関心があるとしても、通常は所詮メディアや書籍などの二次情報にしかふれてないので偉そうなことは言えないのですが、筆者のいうところの「問題の当事者を他者として無意識に排除する姿勢」をなるべく避ける様に心がけたいところです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

«イギリス庶民院の議長