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2009.12.19

王様という幻想

最終日はちょっと足を伸ばしてヴェルサイユ宮殿へ。とはいっても、泊まっているお宅からローカルのバスに30分ぐらい乗るともう既に門の目の前だ。

ヴェルサイユ宮殿はとにかくでかい。建物もそうだが、とにかく庭が広大。宮殿内部はいわゆる「フランスの勝利の歴史」に彩られている。個人的には「フランスが勝ったのってナポレオンの時ぐらいじゃなかったっけ?」という印象があったのだが、ヴェルサイユ宮殿の一画では、有史以来のフランスの勝利を描いた絵画のみが展示されている部屋がある。靖国神社みたいなもんか。

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(写真全体がヴェルサイユ宮殿の庭)

ヴェルサイユ宮殿の中でこれはシニカルだなぁと思ったのが、「王妃の村里」。マリーアントワネットが村里を模して作らせた箱庭農村である(デジカメ電池切れにつき写真がないです。すいません)。箱庭といってももちろん実物。彼女はここで村娘の格好をすることを好んだという。もちろん宮殿の外ではリアル農民が重税に喘いでいた。

フランスの絶対王政はいうまでもなくルイ14世の時代に絶頂期に達し、国王の意思の元に壮大な浪費、戦争が繰り広げられた。この絶対権力構造からは我々からみると様々な「珍妙な」なしきたりが発生した。ヴェルサイユ宮殿にはトイレがなかったのは有名な話だが、廷臣は携帯性の便器をもちはこび、その形状は地位によって決まっていたという。

ちなみにマリーアントワネットはこの馬鹿馬鹿しい決まりを廃止したので、単に浪費好きのおバカさんでもなかった。ところが逆にこれによって地位を誇示するすべを失った貴族から反感を買ったという。

個人的には、「国家」というものが実体として存在せず様々な人々の認識のもとによって成り立つルールの集合体、一種の理念でしかないと考えてます。例えば「国を愛する」とというのは、「ルールを愛する」という風にも解釈できて厳密性を欠く気がする。郷里や同郷の人々を愛するというのなら分りやすいのですが(「ワシは刑法愛しとるんよ。」とかいう人が大学時代にいたような気もします。)

「王様」という存在も、人々が作り上げた”幻想”のように思えるのですが、実際にはこの幻想によって、多くの生死が左右された。ちなみにルイ14世は自分に「王権」を与えてくれた神に深く感謝し、礼拝を欠かさなかったという。

便器の話といい、神様への感謝といい、後世からみると冗談にしか思えないが、人間はかくもたやすく幻想のルールにしばられている。

では、このような一種の”王様幻想”を否定する合理精神が勝るかというと、この絶対王政に続くフランス革命が、理性を絶対化したが故に「理性に基づく暴力」さえも正当化し、その後80年にわたりテロの応酬に見舞われたのはまさに歴史の皮肉のように思える。

まぁ、そこまで話を大げさにせずとも、実はビジネスの世界も同じで、我々が当たり前だと思っているルールも、よく考えると幻想に過ぎず必然性は何もないことが珍しくない。ということで、久しぶりに歴史の勉強でもしようかなと思った一日でした。

では、ロンドンに帰ります。

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