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2010.11.24

教育の効果について

先日キャンパスビジットにいらっしゃった方とお話し、さらにその夜は「School of Rock」がテレビでやってたので見てしまい、教育について考えるいいきっかけになりました。

School_of_rock
(2003年 3流ロックシンガーが厳格な学校に代用教員として忍び込み子供達とロックバンドを結成する。少しありきたりなストーリーですが、主演のジャックブラックの演技がいい味出してて楽しめます)

また、キャンパスビジットをしている方から伺ったのが「MBAの授業で今後最も役に立つ(役に立ちそうなもの)は何か」というご質問。そういえば、僕も受験生時代は似たような質問をしてました。

MBAを履修された方々が大抵おっしゃるのが「授業で習ったハードスキルはやがて忘れる。重要なのはソフトスキル」という回答です。確かに僕も高校時代にやった三角関数なんて名前ぐらいしか覚えてないですし、大学時代に習った法律もほとんど忘れました。恐らく今勉強していることの大半は5年、10年すれば忘却の彼方でしょう。

しかし、かといって忘れさられた「知識」が僕に何の影響も与えていなかったかというと、そんなこともないだろうと思うのです。法律学的な発想や、学んだ概念は僕の今の判断方法や生き方に何らかの影響を与えているでしょう(これを包含してソフトスキルと称するのかもしれませんが)。

MBAは法科大学院と同じように専門教育と位置づけられています。ゆえに、その後のキャリアにおいて直接的に有用であることが求められ、その有効性をめぐっては議論がまま起こります(代表的なのはヘンリー・ミンツバーク「MBAが会社を滅ぼす」)。

個人的にはこのような議論においてMBAは過大評価されすぎで、しょせん2年で管理職用の一般教養を多少つけただけですから、総体的には社会にそれほどのインパクトを与えないのではと考えています。大抵の卒業生は弁護士のような専門職でも、ロケットエンジニアのような技術職でもないですし。

ただ、一人の留学を志した身として思うのです。ここで学んだことが即物的に役に立つことは恐らくないものの、ソフトやハードという区分を超えて、この経験と知識が僕の新たな一部となり、これまでの考え方や生き方を不可逆に変えることでしょう。このことによって別に僕の収入が増えるわけではないので、こういうことがつまりは教育のお金で図れない価値なのかなぁ、とそんなことを考えました。

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おまけ: ちなみに自衛隊を「暴力装置」と呼んだことを野党が問題視していますが、政治学をかじった身としては大学時代に普通にこの言葉を使っていたため、当初は何が問題なのか全然わかりませんでした。

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コメント

日本人に関する '有ること' と '無いこと'。

感性があって、理性がない。
感想を述べるが、理想を語らない。

現実の内容はあるが、考え (非現実) の内容はない。
事実は受け入れるが、真理は受け入れない。

実学 (技術) は盛んであるが、哲学は難しい。
実社会の修復はあるが、理想社会の建設はない。

現実の世界は信頼するが、非現実の世界は信じない。
現実の内容を再現すれば、それは模倣である。
考え (非現実) の内容を実現 (現実化) すれば、それは創造である。
模倣力はあるが、創造力がない。

「今ある姿」を語るが、「あるべき姿」は語らない。
私語・小言は好むが、公言・宣言は好まない。
歌詠みは多いが、哲学者は少ない。

丸暗記・受け売りの勉強はあるが、考える力・生きる力がない。
学歴はあるが、教養はない。
序列判断はあるが、理性判断はできない。

学歴は序列判断の為にあるが、教養は理性判断の為にある。
学歴社会というのは、序列社会の言い換えにすぎない。
序列順位の低いことが恥と考えられている。サムライ社会のようなものか。
理性がなくても「恥を知れ」(Shame on you!) と叱責を受けることのない恥の文化が存在する。

民の声を代弁する議員は多いが、政治哲学はない。
総論 (目的) には賛成するが、各論 (その手段) には反対する。

理想 (非現実) は、現実に合わないと言って受け付けない。
現実の内容を根拠にして、理想を捨てる。
意見は個人個人で異なる。だが、小異を挙げて、大同を捨てる。

恣意 (私意・我儘・身勝手) が有って、意思がない。
恣意の力 (大和魂) に期待をかけるが、意思の力は認めない。
意思決定は困難を極め、多大な時間を浪費する。

「個人の意見は通らない」と言うが、個人を選出する意味が理解できていない。
意思があれば、手段がある。意思がなければ、手段はない。

この国には、何でもあるが、ただ一つ夢 (希望) がない。
この国には、現実はあるが、非現実がない。
日本語には現実構文の内容だけがある。日本語脳は、片輪走行である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2010.11.24 16時35分

興味深いご意見ありがとうございます。一部そうかなぁと思うところもありますし、違うんじゃないと思うところもありますが、これはおそらくnogaさんの”個人的な思い”だとお見受けしましたので、肯定も否定も控えさせていただきます。

あ、でもひとつだけ。僕は日本人ですが、夢を持って生きています。成し遂げたいことがあります。

投稿: Shuji | 2010.11.24 17時19分

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