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2010.12.17

「政治主導」について

相変わらずアゴラへの投稿記事。元記事をきっかけに普段なんとなく考えていることを整理してみました。

※掲載後の議論を踏まえて加筆・修正しました。


先日「政治主導をあきらめる」という記事をアゴラで拝読した。簡単にまとめると「愚かな大衆に選ばれた愚かな政治家には世の中を変えられないから、官僚システムを改善することによって現状を打破しよう」という主張である。

「官僚主導」の定義は明らかではないが、「政治主導」を否定するからには、官僚が政治家の決めた政策を拒否できる、もしくは政治家の審査を経なくても官僚が望ましいと思った政策を実行できる制度だとしよう。

私は、このような“衆愚”を論拠として民主制度を否定するのは危険であり、代替案の官僚主導システムも恐らく機能しないと考える。現状の民主主義システムを不断に改善し、あるべき政治主導を追及することが道義的にもまた経済厚生的にもベターな選択肢であることを主張したい。


1.人類の愚かさは民主主義を否定しない

言うまでもなく人類とは愚かな存在である。これは、12歳のセヴァン=スズキがリオデジャネイロで行ったスピーチに端的に表現されている。「もし今戦争に使われている全てのお金が、貧しい人々のため、環境のために使われたら、どんなにこの世界が良くなることでしょう。」こんな余りにも自明のことですら我々は実現できていない。

となると「高度な教育を受けた人材であれば多少は”まし”だろう。そのような人間が社会を主導すべき」という主張がでてくる。件の記事では官僚がその候補となっている。

確かに、良い教育を受けることによって、より適切な判断ができるようになる蓋然性は高い。仮にそのような人間に“衆愚“の影響力から隔離された権力を集中させれば、意思決定がスムーズに行われ、より効率的な国家運営が為されるかもしれない。シンガポールや中国のように。

しかし、ひとたび民主的なチェック過程を経ない権力者が自己の利益の極大化を図った場合や、腐敗が甚だしくなった場合にどう対処すればいいのだろうか。人間は誘惑に弱い存在である。恐らくその場合自浄作用は期待できず、修復するのに大変な困難を伴う。実際に中国やシンガポールでは政府を批判することは許されておらず、民主的な圧力による修正は極度に制限されている。最悪な例では北朝鮮やミャンマーをみればよい。一度特権的な権力構造が固定されると、事後的に矯正することはほぼ絶望的である。

なるほど人間は愚かな存在である。ナチスの例をみればわかるように、教育程度の低い愚かな大衆が権力を握っていては国の方向を過つかもしれず、危険かもしれない。だからといって教育程度の高い人間に民主的チェックを経ない権力を持たせることはそれ以上に危険である。従って、我々はこの欠陥だらけの民主主義(=政治主導)を守り、かつそれを如何に改善するかに全力をあげるべきなのである。


2.”国益を自律的に追求する官僚システム”は実現できるか

「国民の利益と官僚の利益を一致させるように官僚機構のインセンティブ構造を設計し直す必要がある」という主張には大いに賛同するが、“国民の利益”という概念から望ましい政策指標が自動的に導出されるわけではない。

そもそも何が国益にかなう、”正しい政策”なのであろうか。現在の成熟した主要先進国をみてみよう。各国が採用している政策は民主政治、資本主義という基本路線を除けばかなり違うはずだ。もし望ましい政策が明白であれば、まずひとつの国が豊かになり、その他の国が追随し、やがてひとつに収斂していくはずだが、そうなっていない。現実には社会情勢、歴史や文化、国際情勢などによって制約を受け、”正しい政策”は明らかではない。そもそも価値観が異なれば目指すところも人によって異なるわけで、その場合”正しい政策”そのものが不存在である。

つまり、現実の複雑な世界では、適切な人事・報酬体系さえ整えれば優秀な官僚達が正しい政策を選択し実行してくれるというのは机上の空論に過ぎないということだ。もちろん指導者は優秀であれば優秀であるほど望ましいが、たとえ世界に冠絶する優秀な官僚集団を形成したとしても、多くの間違いを犯すだろう。それ故に「後はよろしく」と特定集団に依存するのは短絡的かつ危険である。

インセンティブシステムに対しても、現実に立脚した想像力が必要だ。例えば官僚の報酬をGDPに連動させるという方法は恐らく機能しない。なぜなら彼らがその目標指数をコントロールできないからだ。読者諸氏には「業績連動」と称して会社の利益に基づいて給与の一部を変動させられる経験を持つ人も多いと思う。しかし、例えば大企業の社員がその結果、会社全体の方向性を考えて行動するようになっただろうか?恐らく何も変わらなかっただろう。それは、規模が大きくなればなるほど、会社全体の利益など個々の社員達ではどうしようもないからだ。日本のGDPなど、なおさらである。

もちろん、時限的にせよ国の政策の根幹を決定できる巨大な権力を与えれば話は別である。仮に労働市場の流動性が高く、優秀な人材が民間から政府高官に登用され、GDPに連動して巨額のボーナスがもらえるとしよう。その場合何が起こるだろうか?昨今の欧米金融機関の経営陣が短期的な利益(彼らのボーナスに連動)を追求し非合理的なリスクをとったことを考えれば、かなりの確率で結末は予測可能だ。

一番確実にボーナスを稼ぐ方法はバブルを興すことである。国債を発行して財政支出を拡大し、金融緩和をすすめ、円をどんどん刷って円安に誘導すればよい。そして、バブルがはじけたり、外交関係が悪化したり、悪性インフレが起こったらサヨナラするというのが最も合理的な行動である。もちろん、失敗したら巨額の罰金を払うというマイナスインセンティブでモラルハザードはある程度防止できるが、その場合このような職にアプライできるのは金銭リスクをとれるお金持ちだけとなる。

要するに、「これさえ作っておけば後は官僚に任せておけば大丈夫」というインセンティブシステムなどこの世に存在しない。その時々の国際情勢や社会情勢を踏まえ政治判断を行い、事務方(官僚)の裁量範囲を決め、個々の行政組織にふさわしい具体的な指標(例:厚生労働省のこの部局は“待機児童の減少数で評価する”など)を提示する他ない。地味で面白みがなくとも、それが現実的な解だ。そのためにはやはり質の高い政治主導が必要なのである。


3.望ましい政治主導を実現するために

かといって私も読者諸氏と同じように、日本政治の機能不全を嘆く者の一人であり、現状維持をよしとしない。特に現在の日本のように平均的な政治家の質が高くなかったり、特定の利益集団の意見が反映されやすいシステムだと、政治主導といっても画餅にすぎない。

「政治家の質をあげること」「利益誘導政治を打破すること」は望ましい政治主導を実現するための必要条件である。政治家の質をあげるためには何よりも参入障壁をさげ、特定の層からしか政治家になれない現状を改めることである。

その為に最も有効なのは、恐らく金権政治から脱却することだろう。日本では国会議員として立候補しようとすれば、1000万円以上の自己資金が必要といわれており、有力政治家ともなれば億単位のお金を一年で使う。もちろん落選した場合は何のジョブセキュリティもない。どんなに優秀で志があったとしても容易に挑戦できる世界ではない。

例えば当地イギリスでは選挙期間に個人の候補者が使えるお金は300万円程度に制限されている。ここには政策と何の関係もない街宣カーも無ければポスターも無い。戸別訪問が主な選挙活動であるが、それで買収が横行したという話も聞かない。寄付しても使い道がないから、個人候補者と特定団体との癒着もあまりおこらない。もちろんこの制度にもデメリットがあるし、イギリスにはイギリスの問題があるが現在の日本には参考になるだろう。


結論として、“衆愚”だからと政治主導すなわち民主政治に背をむけるのはありうべき解決策ではない。たとえどんなにボロボロであろうとも、決して諦めず、民主的に選ばれた人間こそが国をリードするという理想を守り抜くべきである。と同時に現状を改善する不断の努力が必要であり、その方法を考え、提案し続けることが民主主義国家に生きる国民の義務であろう。そう考えてくれる国民が一人でも増えてくれることを願う。


ぶっちゃけ反響はあまりなし。僕は元記事には賛成しかねるのですが、少なくともネット社会ではそちらの方がウケるみたいですね・・・。参考程度にちらっと眺めてもらえすればそれだけで大満足なのですが。文才の無さゆえに面白みに欠けるのは本人も自覚してます。長いし

なお「政治主導がだめなら官僚主導」という意見がでてくるのは不思議ではありません。

なぜなら過去の日本人が似たような道を選んだ道だからです。いっとき戦前の日本でも政党政治が実現されましたが、政党は党利党略にふけって機能不全に陥り、農村部に税負担をおしつけたため農民は困窮しました。結果、貧しい農民の利益代表(という建前)として軍部が台頭し国民やマスコミが支持したのですが、その後の軍の暴走はみなさんご存知のとおりです。

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おまけ: 民主主義の効率性/非効率性を研究した論文はいっぱいあるらしいので、今度読んでみます。英語でもいいんですが、時間がかかるから日本語の方がいいですね。民主主義の腐敗に関する本は買ったので(英語・・・泣)、冬休みに読んで面白かったらご報告します。ただ、この本は発展途上国が中心っぽいんですよね。

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コメント

英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっていれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしがなりたたない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境がととのはないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。

国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。

英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。

一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。

「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。

大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2010.12.17 14時09分

こんにちは。このポストも大変興味深く読みました。書かれている内容、特に政治資金の制限など、大賛成です。イギリスもここまで来るのに大変時間がかかりました。議会制度自体は中世からあるのに、ある程度、それが「民主主義」とよべるようなものになったのは20世紀初めからですね。それまでは、議会は大土地所有の富裕層が国政を独占するためのツールにしか過ぎない面が強かったですから。 

投稿: Yoshi | 2010.12.17 19時25分

藤沢数希さんの意見はどれも斬新かつ刺激的で読んでいて楽しい物がありますが、全てを鵜呑みに出来るようなものではありませんね。

しかし今回で言えばインセンティブ構造を見直す必要があるなどといった物の見方はなるほどと思ってしまいます。

インセンティブ構造の歪みというのは官僚にしろ政治家にしろ多くの場面で見られるような気がします。その辺りにメスを入れる必要があるのでしょうが、既得権益者が反対するでしょうからこれは解決するのが最も難しい問題の一つなのかもしれません。

投稿: ひらなり | 2010.12.18 00時08分

>noga さま

わお。長いコメントありがとうございます。


>Yoshi さま

確かに移行期には混乱がつき物ですから、長い目で見守る姿勢が必要でしょう。おっしゃるとおりです。民主党も今はぼろくそに言われてますけど、結構やってみないとうまくいくかどうか分からないことも多いものですからね。少なくとも「埋蔵金」のような怪しげな財源がそれほどないこともわかりましたし、目的のない「予算の組み替え」なんて小さなパッチワークに終わるということも明らかになりました。かなーり小さいですけど岡田外務大臣の密約公開とかも民主党でないとできなかったわけですから。

あと、イギリス政治について偉そうなことを言ってるんですけど、実は僕もそれほど政治システムや歴史的経緯に詳しくないのでもっと勉強します。


> ひらなりさん

僕も元記事を書かれた方は、知的だし知識も豊富だと思います。

我々全てが「自分は正しい」と思いがちなバイアスを持っているので、その点だけは気をつけたいところですね。僕も謙虚に、謙虚に・・・。

既得権益を持っている人達が、自分の利益を失うことに反対するのは自然ですし、なんら非難されるべきではないと思います。ただ、自分のことしか考えてない姿勢は所詮多くの支持を受けられないでしょう。何事にも自分の利益も大事ですが、公共の利益も大事という姿勢で臨んでほしいです。

例えば、農業保護なんかも同じお金を使うなら生産性の向上に使ったほうが農業従事者、国民のためになりますし、司法修習生の給与なんかも、法科大学院の低所得層への補助の拡充とかに使う方がいいと思います。僕は特定産業の補助金は少なければ少ないほどいいとは思っているのですが、現実はそう急に変わらないでしょう。であれば、国民と利益集団の双方が妥協し、今よりベターな、現実的な回答がみつけていけばいいんじゃないかと思うんです。千里の道も一歩からということで。

投稿: Shuji | 2010.12.18 01時04分

こんにちは。先日は拙ブログにコメントありがとうございました。

>「これさえ作っておけば後は官僚に任せておけば大丈夫」というインセンティブシステムなどこの世に存在しない
このご意見に賛成です。
そのためには、適切な情報公開と、それに基づいた冷静な議論を実現することが必要だと思います。
また、財政状態が厳しい中では、タブーを作らず、さまざまな圧力団体の動きを監視することが求められると思います。

投稿: 逍花 | 2010.12.19 19時47分

>逍花さま

コメントありがとうございます。ブログの方も楽しみにしております!

おっしゃることごもっとです。僕は最近、「圧力団体の監視」を一般市民がやるのは時間的にも知識的にもなかなかきびしいと思うので、その為にお金をもらっているメディアがもうちょっとがんばってくれないかなぁ、と願うばかりです。

今は既存の紙面割りにしたがって発表情報を流しているだけなので、調査報道とか、分析にもっと力をいれてほしいと願っています。先日の日経の税制特集なんかも2面ぶちぬきでありましたけど、ただ「こうなりました」と細かく伝えているだけなので、あまり価値を感じないんです。たとえば国際比較とかをして日本の財政のここがおかしいとか、思い切っていくつか改革の方向性のオプションを提示するとか。批判するだけなら誰でもできますが、意味のある提案は専門知識がないとできないですし。

最近は専門家がブログで情報発信しているので、これはいい傾向だと思うものの、「トンデモ」系も多いですし。そもそも大手メディアとは発信力に格段の差があるので、当分彼らにがんばってもらうしかないのかなと思っています。

投稿: Shuji | 2010.12.21 08時13分

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