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2011.01.30

日本の若者内向き論は海を越える

僕は「最近の若者は内向きだ」というのは全くの言いがかりだと思っているのですが、まさかイギリスでまで「日本の若者は内向きになっている」という話を聞くとは思いませんでした。

僕が奨学金をもらっている団体で日本経済に関するカンファレンスがあったので出席したところ、もとエコノミスト記者の方が「日本の若者は海外で学ばなくなっている、これでは日本の未来はくらい」ということをおっしゃっていました。根拠となったのは、

「アメリカ大学への留学生が4割以上減っている」という以下のグラフです。

Graph
出所:日米教育委員会

参考までに日本の新聞では以下のような記事もあります。

半数が海外勤務敬遠 競争力低下の懸念 (読売2011年1月17日)
日本の若者の「内向き志向」に企業が頭を抱えている。円高による製造業の海外移転や貿易自由化の流れから、海外で活躍できるビジネスマンの重要度は高まっているが、海外に留学する学生は減っている。グローバル企業で海外勤務を敬遠する若手社員もおり、産業界には国際競争力が失われる危機感が広がっている。(山本正実、岩城択)

Hu_sa_11011703_2 

しかしここは若手日本人として黙っているわけにもいくまい、ということで。

「反論させていただいてもいいですか? May I challenge your argument?」

ということで下手な英語でささやかな「若者世代からの反論」をさせていただきました。若者世代といっても三十路オーバーですが。実証的な反論に関してはこちらのページにほぼ完璧にまとまっているのでご参照ください。

要点としては

・そもそも若年層の人口が1997年から2010年まで27%も減っている(その日は「7~8割ぐらいは人口の減少で説明できる」といいましたがそれほど間違ってなかったみたい)。

・その他の国々、とくにアジアエリアへの留学生は増えている。

・実質所得の低下も考慮して欲しい、大体アメリカへの留学は高い。

ということを主張したところ、会場から拍手をいただきました。モデレーターは「色々な国で学ぶことはいいことだ」とか言ってましたけどね。

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おまけ: 自分が年寄りになっても絶対に「最近の若者は・・・」と言わないようにしよう。それにしても読売新聞の記事はひどい。大手新聞社は新入社員研修で統計の授業を必修にしてデータの見方を学ぶべきでしょうね。

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2011.01.28

日記

年金について簡単に現状分析してみたのですが、これはできればもっと多くの人に読んでもらいたいなぁ、と思いましてリライトしてアゴラに投稿したところ「ついでに執筆メンバーにならない?」とお誘いをうけました。

どうも特にオブリゲーションはないみたいなので、「よろこんで」というお返事をさせていただきました。というわけで、今回書いた文章は、オリジナルを週明けにこのブログで。リライトしたもの(テキストベース)を来週アゴラのサイトにアップします。

ちなみに、現在中国では旧正月の季節らしく、メールであちこちから「新年会」のお誘いをいただきました。せっかくなので僕もいくつか顔を出そうと思っています・・・

Gongsifacai

やっぱりアジアの画像はなんか落ち着く・・・

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2011.01.26

千年の統計

菅首相のブログに面白いグラフがのってました。

P20110125
クリックすると拡大します

19世紀後半から20世紀にかけての人口増加が歴史的にみると異常だったのだなぁ、ということがよくわかります。ちなみに大体同じタイムスパンの一人当たりGDP(ドル換算)の推移はこちら。

Graph_2
出所:Angus Maddison HP

適当に期間を切り取って、それぞれの日本のGDP成長率を計算すると以下の通り。

  1. 1000AD(400ドル)-1900AD(1,180ドル):0.1%
    ⇒明治維新前はほとんど経済成長というものはなく、江戸時代でも竪穴式住居に住んでいた人は珍しくなかったようです。
  2. 1900AD(1,180ドル)-1950AD(1,921ドル):1.0%
    ⇒開国してから状況が変わります。なお、1941年(2,873ドル)と比べると第二次大戦による落ち込みのはげしさが分かります。
  3. 1950AD(1,921ドル)-1980AD(13,428ドル):6.9%
    ⇒高度経済成長期。ちょうど今の中国なみの成長率ですね。
  4. 1980AD(13,428ドル)-1990AD(18,789ドル):3.8%
    ⇒1985年のプラザ合意で急激に円高になりバブル真っ盛り。
  5. 1990AD(18,789ドル)-2008AD(22,816ドル):1.1%
    ⇒いわゆるバブル崩壊後の「失われた20年」。

こうしてみると、19世紀以前は世界中の変化はまことに緩慢で、数百年間同じ生活が繰り返されていたといっても過言ではないでしょう。しかし20世紀、とくに第二次世界大戦後の数十年間に人類社会は全くの別世界に移行します。日本に限って言えば、1950年から1980年のわずか30年間に奇跡と称されるにふさわしい革命的な変化を遂げました。GDPの成長率はたとえ1%でも、それがコンスタントであれば大きな違いをもたらします。

さてさて、人類社会は今後もこのような成長が続くのか、それとも歴史の大部分がそうだったように、数千年に及ぶ長い停滞の時代を迎えるのか・・・。

次回は菅首相が「社会保障について語れ」とおっしゃっているので、年金の話を少し。

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2011.01.24

国家が借金を踏み倒すとき

前回財政破綻を取り上げたので、ついでにこれにまつわるトリビア的なトピックを少し。人類の歴史で「金貸し」という職業が生まれたときに「借金を踏み倒す」という歴史も生まれました。国家も例外ではありません。

記録に残る国家のデフォルト(債務不履行)は紀元前4世紀、古代ギリシャでアテネ海運同盟の10都市国家がデロス寺院からの借金を返せなくなった事例までさかのぼります(Winkler 1933)。その後も定期的に国家は借金の支払いを拒んできました。最近もロシア(1998)、アルゼンチン(2001)、インドネシア(1999)など多くの事例があります。

ところで、国家が「借りてた金を返さない」といったときにどのような対抗手段があるのでしょうか?実質的には存在しないと言われています

例えばある銀行が国家にお金を貸していたにも関わらず、返済を拒まれたとします。このとき裁判を起こしたとします。もちろん勝ちます。裁判所は国家に命令します。「この申し立て人の権利は正当である、ただちに返済しなさい」そして国家はその命令を無視します。そしてそれ以上はどうしようもできません。

Cacerolazo_argentina_20012002
アルゼンチンの経済危機(2001年)

アルゼンチンが2001年に債務不履行に陥ったとき、ある海外の銀行が税務署のオフィス道具一式の差し押さえを裁判所に訴えましたが、判決は「これらの資産は行政運営に必要不可欠なので、差し押さえできない」というものでした。アルゼンチンの金融危機では交渉に4年の歳月を費やし、投資家は債務残高の平均70%減額を受け入れざるをえませんでした。

では、はたして貸し手は泣き寝入りをするしかないのでしょうか。とりあえずは「もう貸してやらないぞ!」というプレッシャーをかけることはできますが、それはむしろ既存の借金を完済させるというよりも新しい債務契約に速やかに移行するためのものといえましょう。そして、通常国家の債務再編の過程では、投資家は30~40%の損失を被ります。

もちろん、「じゃあ国家は借金をするだけして、やばくなったら踏み倒せばいいじゃん」とはいえません。デフォルトが起こった場合、短期的には流動性がストップし、経済が収縮し、倒産が拡大、失業率は上昇、犯罪発生率も増加するなど負の効果が大きいからです。

投資家がそういうリスクがあるにも関わらず”危ない国家”に貸すのはなぜか?貸す際に高い利子率を要求するので、デフォルトを考慮してもなお儲かるからです。例えば20世紀の歴史をみると、新興国に投資をする場合と自国の債権に投資をする場合のリターンは最終的にはあまり変わりません(Sturzenegger and Zettelmeyer 2007)。数十年に一回のデフォルトをうまく避けられさえすれば、もちろん自国債権への投資よりも儲かります。

ちなみにアルゼンチンの子と話した時に面白かったのですが「アルゼンチン人は国や銀行を信用しないので常にいくばくかのタンス預金をもっている」ということでした。

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おまけ: そういえば一人一票運動で参議院選挙の無効を裁判所に訴えていますが、仮に裁判所が「参議院選挙は無効である」と審判したときに何がおこるんでしょうか。国会は無視するんでしょうか。それとも憲法に規定はありませんが、判決に従って参議院を解散するんでしょうか。でもそのまま選挙をやり直しても意味がないわけでして。裁判所が無効を宣言する確率は低いでしょうけど、思考実験としては面白いですね。

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2011.01.21

破綻予測がはやる理由

今日の授業で面白い一言があったのでご紹介します。昨今本屋さんに行けば経済コーナーに必ず一冊は「破綻本」がおいてあると思います。先ほどネットで検索したところで、以下の通りでした。

表紙 破綻年 書名 刊行年 著者
41cxtd48rhl_aa115_ 2020 2020年、日本が破綻する日 2010 小黒 一正
51y5rvh0tnl_aa115_ 2017 2017年 日本システムの終焉 2006 川又 三智彦
51dtop3eryl_aa115_ 2014 2014年日本国破産 2010 浅井 隆
41ma3rny2xl_sl160_pisitbstickerarro 2013 日本経済「余命3年」 2010 竹中 平蔵, 池田 信夫, 土居 丈朗, 鈴木 亘
51ruhqobihl_aa300_ 2011 2011年 本当の危機が始まる! 2010 朝倉 慶
51u9utcapl_aa115__2 2011 2011年 金利敗戦 2007 森木 亮
51p9ugx4tvl_sl160_pisitbstickerarro 2011 2011年日本経済 ―ソブリン恐慌の年になる! 2010 高橋乗宣, 浜 矩子
5111jc25vjl_aa115_    2007 最後の2年 ― 2007年からはじまる国家破産時代をどう生き残るか 2005 浅井 隆
51djo2edtcl_aa115__3 2005 国家破綻最終章―2005年あなたの預金と借金がゼロになる! 2004 藤原 直哉
51g858mzg2l_ss500_ 2003 2003年、日本国破産 2001 浅井 隆
(画像なし) 1999 財政波動が予言する1999年日本国破産 1995 森木 亮

僕はこれらの破綻本が全て「トンデモ本」だと申し上げているわけではありません。そもそも読んでいないので評価もできませんし、著者の意に反して煽りのタイトルを編集者がつけることもあると聞きますし。さすがに定期的に執筆するのはいかがなものかと思いますが。

ただひとつ財政破綻について付け加えるとすれば、「誰も”いつ”破綻するかを当てることはできない」ということです。確かに国家でも個人でも、いつまでも借金をし続けることは不可能です。日本の財政赤字は持続不可能であり、このまま借金を続けていけばいつかは破綻するということに対しては僕も異論はありません。

しかし例えば個人がもう借金を続けられないという状況はいかなる状況でしょうか?「こいつはもうお金を返してくれないな」とみんなが思ったときにその人は破綻します。つまり信用を失ったときです。国家も同じで、「日本という国はお金を返せないだろう」あるいは「日本円はこの先大暴落するんじゃないか」と誰もが思ったときに日本という国は破綻します。そして、信用がいつなくなるかは誰にも分からないというのはご同意いただけるのではないでしょうか。

さて、ではなぜ巷では××年破綻というタイトルがはやるのか、教授に言わせれば

「××年に危機が起こる」という予言は魅力的だ。当たれば予言をした人は大絶賛されるし、はずれたとしても誰も覚えていないからだ。

ということでした。

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2011.01.19

家の寒さと地球温暖化

ロンドンに戻ってきました。東京では会う人会う人に「ロンドンは寒いでしょ」といわれるのですが、なんとなく体感気温だと東京とロンドンはそう変わらず。むしろ家の中は圧倒的に日本の家の方が寒い。

実家は東京郊外、築30年の木造一軒家なのですが典型的な日本の家なので夏の「酷暑」を基準にして作られています。冬になると部屋の中が寒い寒い。ひるがえってヨーロッパでは冬の寒さを前提に家がつくられているので、壁と窓は厚くセントラルヒーティングで家全体があったまります。

ここまでは単なる感想だったのですが、帰りの飛行機で読んだ本に「いやいや、個人の感想で終わらせてはなるまいぞ」という問題提起がありました。

41lynbo2ql_sl75_ 低炭素社会 (幻冬舎新書)

著者は元東大総長の小宮山氏。多くの人が嘲笑した鳩山首相の「温室効果ガス25%削減」を達成可能な目標である、と主張しています。要約すると

  • 産業面では日本は世界でもトップクラスのエネルギー効率性を誇り、ここの大幅な削減は確かに難しいが、家庭部門(全体の39%を占める)ではまだ削減の余地は大きい。
  • 家庭部門で排出量が大きいのはエアコンであり夏より冬の方がエネルギー消費量が大きい(夏:外気35⇒28度、冬:外気5度⇒20度。さらに暖房使用期間の方が長い)。
  • 日本の家は断熱性が低いので例えば二重窓にするだけでも大きな効果がある。
  • 最近の家電のエネルギー効率性の向上は特筆すべきものがあり、古いものがまだ使えるとしても積極的に買い換えるべし。

081222_004
日本の一般的な住宅。窓が大きくて風通しも良い。

こうすると光熱費も節約されるので個人としてもメリットがあります。首をかしげる仮定や記述も散見されますが、全体のメッセージはクリアーで説得力があります。

環境問題に対しては色々な人が、色々なことを言っています。...「江戸時代に生活を戻すのが一番」「生活様式を変えてエネルギーを使わないようにすべき」といったことを言う知識人もたくさんいます。

郊外や田舎の一軒家に住んでいて、冷暖房を使わないという人はそれでいいでしょう。自給自足で、エネルギーを使わない生活を実現されている人は尊敬に値します。しかし、実際はそういう人は少なく、ほとんどの人は冷暖房を使っています。...

郊外だからこそ可能な昔ながらの生活を、3000万人の人口がいる東京周辺や京阪神地区の住民に強いるのは無理があります。現実の都市のくらしを無視して「昔ながらの生活に戻れ」などと言っても仕方がありません。

大都市に住んでいる人には理解してもらえると思いますが、都市部で「エアコンを使わない生活」はほとんど無理です。社会全体が真夏に汗だくになったり、真冬に震えながら仕事をしていては、効率も落ちて社会的な損失となります。それよりも断熱を高めて効率を何倍にもあげればいいのです。

技術の力で社会問題を解決しよう、という科学者の意気込みを感じますね。「安易に原子力に頼っていいのか」とか「家電廃棄の処理費用や補助金までも含めたトータルの社会的負担を考慮してもなおリプレイスが奨励されるのか」とか色々つっこみどころはありますが、とりあえず住宅に対する考え方はちょっと変わりました。

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おまけ: もう慣れましたがこちらでは「換気」「日当たり」という要素がほぼ考慮されないようです・・・

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2011.01.17

明治憲法体制が崩壊したのは・・・

今日も簡易更新です。日本で10冊ぐらい買っておいた本に対面できて興奮しているのですが、そのうちの一節より。

31ecnfdpwil_ss500_ 日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ

明治憲法体制は、権力の集中による独裁者を生み出したことによって崩壊したのではなく、意思決定中枢を欠くためにお互いに手詰まり状況に陥り、事態打開のための決断が遅れ、積み重なった既成事実が選択肢を狭めるなかで、対米開戦といった破滅的決定を下し、崩壊へ突き進んだのである。

戦後憲法体制はこれからどうなっていくのでしょうか。今が過渡期のように思えます。

追記:本書は日本の統治機構、具体的には自民党一党優位の下で官僚機構や政治家がどのように行動してきたのか、その問題点はどこにあったのかをコンパクトにまとめています。海外事例との比較がついているのもいいですね。なお、2007年初版ということもあり小泉政権以降の記述は薄いです。

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2011.01.13

今日の授業から(簡易更新)

もしここ数日何度も来ていただいていたら申し訳ありません。最近少々バタバタしておりまして更新が滞っております。今日は簡易更新スタイルで。「マネジング・チェンジ」の教授より(多少脚色)。

大きな組織を変えるということは、複雑で時間のかかるプロセスだ。もしターミネーターのような強力なリーダーが現れて、抵抗勢力を全てなぎたおし、短期間で全てが変わると思っているのなら、そういう考えからは捨てなさい。

組織を変えるということは、むしろ飛行中の飛行機のエンジンを直すようなものだ。条件は制約され、高度な技術とチームワークが要求される。エンジンの調子は極めて悪く、このままほうっておけばかなりの確率で悲劇が待っていることは誰もが分かっているが、ひょっとしたら空港まで持つかもしれない。修理が成功すればもちろん問題はないが、その修理がうまくいくかはわからない。

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2011.01.10

リーダーは柔軟であれ

前に僕は「現状を変えていけるようなリーダーは個々の性格に拠るところが大きいから、ビジネススクールに入るような年齢から鍛えるのは無理ではないか」というようなことを書きましたが、先学期のリーダーの授業を受けてやや視野が狭かったなと反省。職場の課長さんや係長さんだって「リーダー」としての役割が期待されるわけでして、ビジネススクールの授業はそういう”普通の”リーダーを対象としています。

Conservativeleaderdavid002_2
リーダーっつてもこんなのばっかりじゃないですね。

この授業は多くの演習があるのですが、その中で面白かったのがカードのゲーム。来年この授業をとる予定の後輩諸氏はこの先をみない方がいいのですが、、、

  1. クラス全体(50~60人程度)が4人ずつのグループに分かれます。
  2. ゲームのルールは「ハーツ」をベースにしています。
    (ご存知で無い方は一回のターンで各自一枚ずつカードを出して数字の大きい人が勝ち。カードを多く集めるゲームと考えてください)
  3. 2-2のチーム戦です。
  4. ゲーム中は口頭でのコミュニケーションが禁止されます。
  5. 5分ぐらいの時間制で勝ったチームは隣のテーブルに移動します。

さて、この先がミソなのですが、実は各テーブルのルールが微妙に違っています。エースが一番強いカードのテーブルもあれば、最弱のテーブルもある。各自6枚でスタートするチームもあるし、7枚でスタートするチームもある、といった具合に。

そうすると、テーブルを移動したときに当然混乱がおこるのですが、口頭でのコミュニケーションは禁止されてますし、時間も限られていますので、何らかのルールメイキングをしてゲームを進めます。

そのときのプレーヤーの反応としては「なんだこいつら、ルール間違ってやがる」と思うのが通常で、「そもそも最初のルールが違うんじゃないか?」と考えた人はほぼゼロということです。ここでのテイクアウェイとしては、誰もが自分の方が正しいと思うバイアスを持っている、ということですね。

そして、そのテーブルのゲームが終わると次のテーブルに移るわけですが、もちろんそこでもルールが微妙に違います。何がおこるかというと、最初よりもずっとスムーズに新しいルールメイキングがなされるわけです。実際に変化を経験すると人は柔軟になれる、ということです。

最後に当然ながら、コミュニケーションはバイアスを解消する有効な手段である、というテイクアウェイも追加されます。以上のような人間心理をリーダーたるのもわきまえましょうということで、こうしてまとめると教科書チックですが実際にやってみると面白い演習です。

Meeting
リーダーはしゃべり役より聞き役で。


偏見を解消するには実体験が一番

なお、これに関連して僕が考えたのが「国際性」というテーマです。尖閣事件以降、特に中国に対する不寛容さ、警戒心が日本で増しておりまして、心が痛みます。別に僕は親中派でもないですし現実の危険性は冷静に認識したいと思いますが、「中国人は○○」というような偏狭な見方が、実際に複数の中国人と付き合ってみるといかに馬鹿げているかということがよくわかるはずです。

これは別に中国人に限りません。LBSは以下の通り、留学生比率が90%近くあり非常に国際性に富んでいます。実際に話し、遊び、飲みに行くと、どんな国の人間であれ我々と大して変わらないということがわかります。何を喜び、何に悲しむのか。何に笑い、何に怒るのか。もちろん文化上の行動様式の違いはありますが、基本的な喜怒哀楽の同一性に比べれば瑣末な問題だと思います。

といったところで、頭で理解することと実際に偏見を持たないようにすることは必ずしもイコールではないというのは、先の演習の通りでしょう。本当に柔軟な発想を身に着けるためには実際に多様な人々と触れ合える環境に身をおくのが一番。百聞は一見に如かず。これひとつとっても我が校は非常に得がたい環境であるといえるでしょう。

Class of MBA2012   
Number of students  400 
Average age  28 years 
Age range  23-39 years 
Average work experience  5 years 
Work experience range  2-14 years 
Average GMAT score  701 
GMAT score range  600-780 
Percentage of female students  28% 
Nationalities represented  62 
Percentage of international students  89% 

やや強引な気もしますが学校の宣伝でまとまり、お後がよろしいようで。

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おまけ: LBSもMBAというフィルターがかかってるので、卒業後はそれ以外の分野に視野を広げられるよう(=そういう人と接触のある環境に身を置く)に勤めたいです。

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2011.01.07

自由貿易はセカンドベスト

Twitterが最近面白いなぁ、と思っています。ポンポンいろんな人のアイディアや意見が飛び込んでくるので触発されます。さて、そうやってみつけたのが、慶大経済学教授の金子勝さんの以下の記事。

歴史の中の「自由貿易」:錦の御旗を立ててみたけれど…

要約すると、

  • 強者となった国が主張するのが「自由貿易」である
  • 既に日本の農業の平均関税率は十分低い
  • TPPもアメリカの都合のいいように使われて日本が損をする可能性が高い

Bully

ということです。高校の大先輩で大変な実績のある金子教授に僕が何か付け足すのも憚られるのですが、前回貿易について色々と書いていたときに(こちらこちら)、あんまり貿易ばっかりでもなぁ、と控えたことがあるので、今日はこれについて書いてみたいと思います。


インドのケース

この点で興味深いのはインドのケースです。インドは第二次世界大戦後から1980年代の終わりまで、高関税を含む様々な保護主義的な政策を採用してきました。理由はまさに「自国産業の育成」です。

結果どうなったかというと、規制に守られた産業は競争するインセンティブをもたず、どんどん非効率になってしまいました。自国を閉ざすということは他国からも閉ざされるということを意味し、輸出も増えません。とうとう国は破産寸前になり91年にIMFの支援を要請し、その受入条件として経済を自由化する方向に舵をきらざるを得ませんでした。その後のインドの躍進は皆さんご存知の通りです。

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インドの成長は相当いびつです。社会資本の整備が全然おいついてないです。

実は、インドは例外的なケースではなく、第二次世界大戦後に独立した発展途上国の多くが「自国産業の保護・育成」という名目で外国製品を締め出しましたが、結局自国だけでは市場規模が十分ではなく、競争のインセンティブにも欠けていたため産業が勃興することはありませんでした。1980年代半ば、チリを皮切りに多くの国が関税を下げる自由化路線へかじをきりました。内需志向から外需志向への転換ともいえます。今では Emerging Country としてもてはやされています。

ところで、インドは参入や外資に関する規制を撤廃/緩和し関税を下げましたが、一部の高関税はいまだ維持されています。自動車の完成品輸入は100%(一部特恵関税あり)です。中国も完成車輸入には25%の高関税をかけています。つまり、関税保護にも色々なケースがあり、国益に適うかどうかは使い方次第ということがお分かりいただけるのではないかと思います。関税=善でも悪でもありません。


自由貿易はセカンドベスト

以上のように「自国産業の保護・育成」というロジックは最初に多くの国で破綻し、その後修正が行われてきました。

自由貿易がベストの選択肢ではないというのは、その通りです。自国の産業を保護し、国際競争力をつけてから自由貿易体制に移行する。これが理想でしょう。また、アメリカが自分達のことだけを考えているというのも疑うべくもありません。恐らく自由貿易といいつつ、自国の競争力のない産業はあの手この手で守り、輸出を増やそうと攻勢をかけてくるでしょう。

しかし、この点を金子教授はふれておりませんが、自国産業の保護・育成というのは多くの場合、既得権益を維持するための口実として使われます。インドのケースの前半にみられるように、関税保護なり規制なりの結果産業振興が起こらなければ単なる所得移転の可能性が高く(全てがそうではありません)、長期的にはお国の為にならないでしょう。

いったん「特別扱い」を受け入れてしまうとそこに利権がうまれます。結果として、「保護すべきでない産業」が政治的圧力によって保護されてしまい、双方の一般国民の利益がおかされます。それぐらいだったら、お互いに例外なく関税を撤廃した方がベターである、というのが自由貿易を推進するロジックです。

ということで、何でも関税撤廃、規制撤廃すればいいものではないというのは全く持ってその通りですが、そういう主張が形を変えた利権追求ではないか、長期的に日本の為になるのか、というチェックは常に必要です。ひとつ明らかなのは、競争から隔離された産業は決して成長することがない、ということでしょう。

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おまけ: fledgling industry

育成産業?未熟産業?日本語訳がよくわかりませんが、これから成長するであろう/するかもしれない産業という意味です。経済の記事とかではよくでてきます。infant industryというのもほぼ同じ意味で、こちらもよくみかけます。

ついでにおまけ: 金子教授が使われてる「平均関税率」には注意が必要です。これはOECDの推計値で品目ごとの関税の単純平均ですが、米など民間での輸入実績のない品目は除かれています。大して輸入実績のない品目の関税が高かろうが安かろうが、さして問題ではありませんから、輸入規模を考慮すべきでしょう。

輸入規模を加味した日本の農産物の実行関税率は48%にのぼり、OECDの平均13%よりだいぶ高くなります(Anderson, Martin and van der Mensbrugghe 2005)金子教授ご自身がわざわざ単純平均の危険性を指摘されているのにこちらを使わないのは不思議ですね。都合のいい数字のみを使ってミスリーディングしようとするのは日本の官僚の十八番ですけど。

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2011.01.05

汚職の考え方

南仏旅行中は大体5時にどこの観光施設も閉まって、レストランは7時からあくので大体毎日1時間ぐらいカフェで本を読んだり、文章かいてたりしました。なので、大量の文章がアップされたわけですが。そのとき読んでた本がこれです。

412fwqgz1kl_bo2204203200_pisitbst_2Corruption and Government: Causes, Consequences, and Reform Susan Rose-Ackerman
(汚職と政府, 原因、結果と改善)

著者は「マダム・コラプション(汚職女史?)と呼ばれるほどのエール大学のこの分野の第一人者・・・だ、そうです。

日本だと「汚職⇒悪い⇒逮捕⇒制裁」という議論が中心で、その取締りプロセスの強化や制裁の妥当性などが議論になりますが、この本は汚職を違った捉え方をします。大変興味深く、汚職に限らず色々と応用できそうな考え方です。

まず、著者はなぜ汚職が起こるのか、ということに対してシンプルな不等式を提供します(原著に数式は一切出てきませんが)。

汚職によって得られる利益
>贈賄に伴うコスト(贈賄やギフトに必要なお金) + 発覚したときのコスト(懲役や罰金、社会的制裁など)×発覚する確率

左辺はいいですね。汚職によって得られる利益です。ただし、贈賄側も賄賂の元手が必要ですし、ばれた場合は罰金や社会的制裁を受けます。この二つを考慮して、それでも汚職によるメリットが大きい場合に、人は不正に走るということです。

もちろん、「俺はどんなに利益をもらっても汚職をしない!」という人は世の中に一杯いるでしょうけど、とりあえず世の中に汚職はありますし、多少の良心の呵責とお金で莫大な利益がえられるなら、それに抗うのは難しいというのが平均的な人間でしょう。著者は個々人の性格や文化や歴史といった精神的な要因よりも、もっと経済的な要因に注目するべきだと主張します。

発展途上国、とりわけアフリカで汚職が蔓延し先進国からの援助が効果を挙げていないようにみえる、としても別にそれはアフリカの人たちの”文化”ということを必ずしも意味しません。実際に汚職について意識調査をすると、問題視する人の方がマジョリティなのです。

そもそもなぜ「汚職によって利益を得られる」システムが存在するのでしょうか。実は、公的な役割を負っている人間が裁量権をもっているときに、例外なく汚職への誘引が発生します。自分の裁量によって、制度の利用者に利益誘導できるからです。

上記の不等式を仮定として受け入れると、汚職に対処する方法が二つあります。

1. 汚職を生むシステムそのものを変えてしまうか
2. 汚職を発見する確率と、発覚した場合の制裁を強化するか

日本の議論は後者の「発覚したときのコストをあげる」ということになりがちですが、監視や調査には人員と費用がかかります。もちろんこれもオプションのひとつですが、歴史上の事例をみると、より大きく効果をあげた方法は、汚職を誘発する原因そのものを失くしてしまうケースです。具体的な方法は、

・制度の撤廃
・民営化
・制度の改革
・行政機構の改革
・汚職防止法の改正
・調達方法の改善

たとえば元厚生労働省の村木さんの逮捕で有名になった、障害者向けの郵便料金割引制度ですが、そもそもこのお金を障害者向け団体の補助金とかに統合し、制度を無くしてしまえば、割引もへったくれもなく問題自体が発生しなくなります。監視の仕組みも必要ありません。これが制度の撤廃です。

また、どの先進国でも汚職が激しいのは中央よりも地方政府なのですが、たとえば調達担当の人員を中央から派遣し、エリアを越えてローテーションするなどすると、業者との癒着がおこりにくく、不正を行うことがより難しくなります。もちろん、この役人は多分「杓子定規で、温かみも無いお役所仕事」と評されるでしょうが、部署によってはその方がいいのです。これが行政機構の改革ないし調達方法の改善です。

ちなみに、「改革を装いながらより大きな不正を生むような動向」には注意が必要だと述べます。たとえば行政サービスを民営化し、適切な競争にさらせば、徐々に不正のインセンティブは喪失することが期待されます。一方でロシアにみられるように腐敗国家などでは、民営化が国家の富の収奪に使われるケースもあります。

昨年来日本(のマスコミ)は「政治とカネ」で盛り上がっていますが、そもそも莫大な選挙資金を必要とする制度そのものを改変するべきなのかな、と思いました。誰が新年会を開いたとかはベタ記事でいいので、同じ「政治とカネ」がテーマでも「そもそも金のかからない選挙はどうやったら達成可能なのか」という点からクオリティの高い議論にもっていけば、新聞の凋落傾向にも多少歯止めがかかるのではないでしょうか。僕はそんな新聞があったら間違いなく購読します。

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2011.01.02

参議院の西岡私案について

本年一発目はちょっと気合をいれたエントリーを。

以前一票の格差の問題について検討しましたが(こちら)、昨年12月末に参議院議長である西岡氏より参議院の選挙制度の改革案が提出されました。これは日本の将来を左右する非常に重要な問題だと思うので、今回はこの案について考えてみたいと思います。はじめに申し上げますが、長くてすいません。

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まずは議論の前提条件を整理しましょう。

第一に、一票の格差は少なければ少ないほうがよいという前提で進めます。つまり、アメリカの上院のように「州代表」という地位を理由に格差そのものを無視する、という立場をとりません。ひとつは法の下の平等を憲法が既定しているからです。もうひとつは日本の都道府県はアメリカの州のように独立性の高い存在ではないからです。アメリカの州は独自の徴税権、立法権をもち、交付金のような連邦政府からお金を分配する制度も存在しません。

第二に、現在の憲法を前提とします。つまり、二院制を維持し、参議院は3年ごとに半数改選です。憲法改正が現時点ではあまり現実的でないためです。

では、西岡私案について考えてみましょう。


【1票の格差について】

まず「一票の格差」という点では西岡私案だと1.15倍まで縮小し、格差はほぼ解消されたことになります。この点では文句のつけようもありません。


【小党乱立が起こるか】

民主制度においては、少数意見の反映と意見の集約はトレードオフの関係にあります。全国比例代表制をとれば、少数の支持者しかいない政党でも国会に議員を送り込むことが可能です。多様な意見の反映という点では望ましいことですが、意見の集約が進まずに何も決まらないという弊害が起こります。逆に完全小選挙区だと、各エリアの第1党しか議員を送りこめませんから、死票が多くなります。この場合、物事は決めやすくなりますが少数意見が国政に反映されなくなります。

例えば完全比例代表制(一票の格差は存在しない)をとるイスラエル国会では政党同士の政争が激しく、リーダー不在の状況がいつもまでも続きますし、なんと第二党が組閣要請を受けたりします。小政党が再編プレーヤーとして大きな力をもち、本来少数意見であるにもかかわらず、国政に反映されやすくなります。これは昨年民主党と国民新党や社民党との関係で見たとおりです。一票の格差さえ解消されればそれでいい、というほど単純ではないのです

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報道ではこの「小党乱立」が最大の懸念点としてあがっています。しかし、西岡私案ではブロック制です。分割されたエリアで最低限の投票を集めなければなりませんから、極端な少政党は国会に議員を送り込むことが不可能になります。

逆に、公明党やみんなの党などの中政党はその存在感を大きくするでしょう。無所属立候補を認めるかどうか、という点が問題になってますが、前述のとおり小政党ですら勝てない制度なので、無所属議員が勝つ可能性はどちらにせよあまりありません。が、区割りによっては新党大地のように地域政党が少数の議席を獲得することはあり得るでしょう。


【連立のしやすさ】

連立政権が常態となるならば、「連立がしやすい制度か否か」というのは重要な観点です。たとえば衆議院選挙の小選挙区を考えてみましょう。選挙区が多数分割されており、政党与党でも、全選挙区で勝つことは不可能です。結果他党との協力関係を模索します。選挙区を事前相談して分け合い、全選挙区で双方の候補を応援するのが自分達の勝率を高める合理的な戦略です。

現在の参議院の選挙も都道府県選挙区と比例代表の組み合わせですから、政党同士が選挙前に交渉して協力をとりつけるのが通常の戦法です。実際に自民党と公明党は事前協力しました。しかしこの場合、政権与党が参議院で負けて”ねじれ国会”が発生してしまったときに、事後の再編(今回の例でいえば民主党が公明党と連立を組むとか)が難しくなります。

一方、この私案では大きなブロックの政党ごとに議席を争うので、事前の選挙協力をする意味がありません。つまり、選挙結果に応じて再編しやすいのです。政権与党が参院選で負けたとしても、事後に連立を再編をして”ねじれ国会”を解消する可能性が高くなります。

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【エリアの大きさによる影響】

ブロック制なのでひとつの選挙区が大きくなります。よって、選挙活動にかかるお金は大きくなりますし、ある程度の知名度がなければ(非拘束式名簿の場合)、当選することが難しくなります。つまり、新人候補が勝つのは、資金面でも知名度の点でも難しいといえるでしょう。かといって、拘束名簿にすると完全に政党の都合で当選人が決まってしまうのでこれはある程度やむをえないかと。


【個人的な見解】

以上の議論から、西岡私案は「投票数と結果のゆがみをほぼ無くす」「選挙後に再編がしやすく、ねじれ国会を解消しやすい」という点で現行制度より優れており、たたき台としては十分機能すると思います。ちなみに、12月頭に出た民主党の3案は、憲法を無視した案が入ってたりするので、まだ「思い付きアイディアレベル」だと思います。

もし僕が修正するとしたら、ひとつは区割りです。西岡私案では北海道と東京がひとつの区になっています。もちろん北海道は地理的な理由で、東京は人口に基づいた理由でしょう。しかし、下記にあるように北海道よりも人口の多い都道府県はいくつかあります。

  総数 1億2776万
1 東京都 1257万
2 大阪府 881万
3 神奈川県 879万
4 愛知県 725万
5 埼玉県 705万
6 千葉県 605万
7 北海道 562万

出展:2005年、Wikipediaより。ちゃんとしたソースにあたるのめんどくさかったので・・・。

例えば西岡私案の南関東ですが、1選挙区で40というと、半数改選で20人を選挙で選ぶことになります。国民が候補者の情報収集をするという観点からは、ちょっと多すぎるかなという印象です。各候補者が自分の票を積み上げようとして個人的な差別化をはかると、政党としてのまとまりがなくなり有権者の政治不信が増す恐れがあります。

そう考えると大阪、神奈川、愛知は、東京と同じように区を分割してもいいのではないでしょうか。一選挙区あたりの当選数がより同数に近づいてきますし、1回の選挙の当選議席数が6~10だと、候補者の情報収集もしやすくなると思います。また、区割りを細かくすれば、その分極端な政治勢力を排除しやすくなります。地域割りは多少いびつになりますけど。

なお、みんなの党のように参議院議員を100人にするという案は、ほんとに大丈夫かいな、というのが正直なところです。国会議員は日本の国政全てをカバーしますから、ある程度の人数はどうしたって必要でしょうし、参議院の定数だけ減らすと参議院議員一人の力が衆議院議員と比べて極めて大きくなってしまいます。むやみやたらと人数を減らせばいいものではありません。給料を減らすのはありだと思いますけど。

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ただ、僕も実態が分からないのですが「実は仕事をしない議員が余っている」という可能性は否定できません(というか、ものすごくそんな感じがします)。その場合は衆議院とバランスをとりながら減らしていけばいいでしょう。ただ、この為に改革がストップするくらいだったら、今のところ議員数の大幅削減にはそれほどこだわらなくていいと思います。

また、解散のない参議院での連立政権が常態となると、そうはいっても”ねじれ国会”の発生はある程度避けられず、やはり民意の集約という点で不安が残ります。この点では、衆議院の比例代表選出を削減する方法が考えられます。削減した分は純減もしくは小選挙区に割り当てて、定数不均衡の解消に使えばいいでしょう。

つまり、大きく民意が動いたときに3分の2の衆議院再可決を可能にすることで、参議院が原因となって国会がスタックしてしまう弊害をある程度防止できます。もちろん再可決が連発されるのは、瞬間的な民意で全てが決定されるということで本来あまり望ましくないのですが、今の日本にはもうあまり時間がありません。大胆な社会変革が求められている現下の状況では、”ねじれ国会”で徒に国政を空転させる余裕はなくやむを得ないでしょう。

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なお、仮にこうすると衆議院の議席は敗者復活が少なくなりますから、その地位はより不安定になります。最近の情勢をみると、衆議院で落ちた中堅議員が参議院に転出するということがもっと増えるでしょう。結果として衆議院は、まだ地盤のない若手議員と地盤の確立した有力議員で構成され、参議院に中堅どころの議員が集まるというふうに、ある程度性格付けがなされていくかもしれません。20年ぐらいたてば。

あと、国会議員は定数配分に関しては「利害関係者」です。衆議院の区画審のように中立な外部専門機関により議席配分に関して定期的な勧告を行うようにする、という制度も合わせて導入すべきでしょう。


【おまけ:そもそも論】

なお、上記の議論ではそもそもの「二院制の存在意義」についてあまり触れていません。個人的には、現在の日本で二院制を維持する理由はあまりないと考えます。解散のない参議院が「良識の府」という学校教育を受けた記憶もありますが、現在の政党政治のもとでは実態と乖離しています。

「党議拘束をはずして議員が個々の良識に従って行動すればよい」という意見もありますが、その場合は政党に所属する意味が薄くなりますから、政党が受け入れるのは難しいでしょう。よしんば受け入れたとしても、議員は個人の「識見」だけではなく、「利益」に基づいても行動することを忘れてはなりません。バラバラに行動することがすなわち「良識」を生むのでしょうか。

むしろ“ねじれ国会”が常態化して国政がスタックするという弊害の方を考えると、似たような二院を持つ意味はあまりなく、両院を統合して小選挙区比例代表制で600~700名くらいの国会議員を選ぶほうがいいと思います。無理やり存在意義をひねり出そうとしても苦しいだけです。小選挙区と比例代表を組み合わせ半数改選にすれば一時的なブームで国政が混乱する危険もある程度抑えられるでしょうし、両院統合によって首相一年交代ということも恐らくなくなります。

他の方向性としてはイギリスの貴族院のように、参議院の権限を大幅に縮小して助言機関にしてしまうというのもありますが、参議院の議員が絶対に反対するでしょうから憲法改正の発議(全議員の3分の2)を考えると現実的ではありません。あるいは首相公選という手もありますが、二院制の問題を解消できるなら、無理に首相公選をする意味はないかと。もし、道州制にして参議院を地域代表と位置づけるなら、二院制を維持してその代わりに首相公選にするというのは考えとしてはありだと思います(アメリカ型)。

いずれにせよこれらの議論は次の参院選のトピックとしては未成熟で、もう少し先の話でしょう。


日本で政治の話をすると、政治家の権力闘争などの「政局」や、この選挙制度だとどこそこの政党が不利とかの「技術論」になりがちです。特にマスメディアは。あるいは、現実性の無い極端な理想論や副作用を無視した一方的な主張が展開されがちです。特にインターネットは。

”本来こうあるべきではないか”という理想を掲げつつ、”具体的にこうすれば実行可能である”という現実を見据えた議論が盛り上がることを願っています。

Goethestieler_1828

現実を直視する心に、本当の理想が生まれる。
ゲーテ

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2011.01.01

あけましておめでとうございます

実はMBA生活も残りあと3ヶ月ちょっととなりました。というのも、僕は4月上旬にいったん全ての単位をとり終わってしまうので、7月に卒業式はあるものの実質は4月で終了となります。いよいよ終わりがみえてきました。といってもいくつか大きな課題がまだ残っていますけど。

昨年も同じことを申し上げましたが、一年の計は元旦にありということで、まずは昨年の計画の検証と次に今年の計画などを。ちなみに、英語でもNew Year Resolutionという、全く同じ概念があります。

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一年前のブログをみてみると(こういうときはブログに記録しておくと便利です)、「英語の上達」「キャリアの方向性を決める」とあります。今思うと、ひねりがないというか、目標が小さいというか。しかし昨年の英語のひどさは深刻でしたから・・・。

さて、それはともかく「英語」はさすがに一年前と比べればまぁまぁ上達したかな、という気がします。少なくともノンネイティブとの意思疎通にはあまり問題を感じなくなりました。問題はネイティブですが、彼らが本気でしゃべりだすとやっぱりまだまだ苦しいです。ま、これはある程度しょうがないので、映画やテレビをみるなりして、ナチュラルな英語にもっともっと慣れていくしかないでしょう。

次に、「キャリアの方向性」ですが、確かに決まったもののあまり想定してない方向に行きました。どう行ったかはまだ公の場で申し上げられないのでが(一部知人には話してますけど)。今年の目標もそれに関連してるので、とりあえずメモっといてブログに記載するのはやめときます。発表段階になったら自分を追い込むために追記します。

というわけで、いまいち事務的かつ締まらない感じですが、ここで背伸びをしてもしょうがないので、とりあえずこんなもので。

本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

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