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2011.06.03

被災地ボランティア 3)

津波被害地区

新幹線を降りて仙台市内に出るとごく普通の都市風景が広がっています。ここは本当に地震被害にあったのかと思うほどです。しかし、海に向かって東に進み東北自動車道を越えると印象が一変。もともと農地なので一気に視界がひらけ、ガレキが散乱している様子が目に飛び込んできます。と、同時に腐臭がツンとハナにつきます。

元は田んぼであった場所には潰れた車、自販機、家具類が見渡す限りに散らばっています。津波から3ヶ月経過してもこの状況。延々と続くガレキの中を歩くとやはり復興には途方も無い作業量が必要なのだと、呆然とするような、気が引き締まるような感じがします。

ある程度進むと家屋を見かけました。二階建ての家の一階部分の壁は崩壊しており、人気はありません。玄関には3月14日付け自衛隊の「検索終了」の貼り紙が、お役所仕事らしい几帳面さで貼られています。

割と頻繁にトラックが行き交いし「復興作業中」の横断幕を掲げているものも。「救援物資搬入にも、避難経路確保にも、災害時には交通手段の確保が最優先だな・・・」という考えが機械的に自分の頭に浮かびました。

Sendai_tounan
クリック拡大 見にくいですが赤線内が津波被害エリア 出所:日本地理学会

アルバムの泥落とし

5月31日、生まれて初めて行った「ボランティアセンター」なるものは、駐車場のような空き地に設置されていました。大型のテントがならび、長机やパイプ椅子、スコップなどの機材に仮設トイレが並んでいます。かなりシステマチックに運営されている印象です。

集まっているボランティアの方々は、主婦、東京から来た若い女性、ガテン系のおっさん、バックパッカー的な髭面お兄さんまで様々。どちらかというと男性主体という印象。見た目だけですが。

9時から受付開始ということだったので、9時直前に行ったのですが、既に受付の人が並んでいました。ボランティアの派遣状況はHPで公開されており、仕事がなくてお引き取りいただくこともある、という話だったのでやや不安になりました。

果たして不安は的中し、「仕事がありませーん」という宣告が。わざわざ東京から新幹線のってきたのに・・・と身勝手ながら少し失望しましたが、15分ほど待ったところでほどなく「アルバムの写真洗い班」として地区センターのような所に派遣されました。

作業内容は自衛隊が収集したアルバムの泥落とし。綺麗にした(といっても限界はあるのですが)アルバムは一定期間展示されて持ち主が見つかるのを待ちます。長靴、マスク、厚めのゴム手袋で完全武装した身としてはやや拍子抜けですが、気をとりなおしてその日は泥落としに専念。

海水に浸かった写真はもろく、泥をとろうとすると一緒に表面の写真がズルッと剥げてしまうものもあります。「このアルバムの何割が持ち主の手元に戻るのだろうか」という防ぎようのない疑問が頭に浮かんでは消えていきます。

アルバムだけではなく、20年程前に書かれた「育児の記録」なるものもありました。生まれたときの病院の様子、おじいちゃんやおばあちゃんからの祝福の言葉なども。

黙々と作業を続け、3時頃に終了。再びバスでボランティアセンターに戻って解散。一旦ホテルに戻って休憩し、夜は牛たんを食べに行って、カウンターの親父さんと他愛ない会話。

「ガスが来たのが一ヶ月後でね、それまでは営業できなかったんですわ」

「地震だけだったら大したことなかったんだけどね、津波がね・・・」

後ろではサラリーマンのおっちゃん達が盛り上がってました。

(続く)

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